2021-04-06

関わるには重すぎる障害の人とどう関わるか

来宮駅車椅子の件で炎上を発生させた人は脳性麻痺車椅子の人である

賛否両論あるが、その人が活動家アクティビストであることは間違いないだろう。

この件で、障害者福祉について少しでも聞きかじった人なら川崎市バス闘争のことを思い出すと思う。

わたし知識としてはそういう出来事を知っていても、今回の件もそうだが先鋭的な活動家のことは嫌っているが)

また「依存先は多ければ多いほどよい」で有名な熊谷晋一郎氏も脳性麻痺論客だ。

それで思ったのは、なぜ、脳性麻痺の人は政治的な人が目立つのか、ということだ。

わたし脳性麻痺当事者ではないのであくま想像になるが)

答えは、脳性麻痺の人が社会参加できることが、残酷なことに政治くらいしかいからなのではないか

目が見えない人のための仕事は昔から存在した。

耳が聞こえない人は耳が聞こえない人の文化を持っている。

知的障害者授産施設で働いている。

いっぽうで、脳性麻痺や、そのほかの全身を動かすことができない重度障害者社会参加することが非常に難しい。

だが政治なら参加することができる。

もちろん、他の障害の人も政治活動に参加していることはある。

だがそれが世界の全てではない。

またある程度身の回りのこともできる。

いっぽう、(これは身体障害に限らないが)重すぎる障害の人は、関わる人も限定されてくる。

はっきり言ってしまえば、重い障害の人を助けようとする人は、宗教的な使命感に駆られた、ネジのはずれた人である

政治的に先鋭的な人も多い。

しかし、重度障害の人を助けてくれるのは、そういう人だけである

現代福祉というのはそもそもキリスト教的な価値観から生じたものだが、キリスト教でいう「天に徳を積む」ということを心の底から信じ切っていないと、程度問題だが、重すぎる障害の人を助けようとなど誰もしないのだ。

少しでも自己実現欲求が残っている人は、(比較的に)軽い障害の人は助けることができても、相手障害が重くなればなるほどに、割りに合わないと感じて障害者支援現場から去っていく。

これはもう、世界にはどうにもならないことがあるとしか言いようがないことだと思う。

現世は世知辛いのだ。

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