今、テレビアニメ放送中の魔術士オーフェンはぐれ旅の原作小説について、雑に語ろうと思う。ネタバレ満載原作4部まで話すので、ネタバレ苦手な人は回れ右。
魔術士オーフェンというシリーズは90年代ファンタジーラノベの金字塔と言われている。私は98年くらいからオーフェンを読んでいるが、確かにあの頃にとても売れていた。いわゆる夢と冒険のファンタジー的な売り文句だったと思うが、今思うとほぼ全ての読者がこの物語の本質を誤解していたから売れていたのだと思う。
私もオーフェンを夢と冒険のファンタジーだと思っていた。が、当時巷に溢れていた物語とは何かが違うとも思っていた。その時にはただの予感でしかなかったが、あれから20年以上経った今になって、それはようやく確信となった。魔術士オーフェンという物語は夢と冒険のファンタジーではない。人間の倫理についての思考実験だったのだ。
まず、第一部である西部編。これは罪と償いについての物語である。一巻でチャイルドマンを殺したアザリーが、その罪を償うために何が出来るのかを模索したのが第一部だ。
先に言っておくと、作者の秋田禎信氏は殺人という罪を否定しているが、それを人間の絶対的な汚点とは見做していないと考えられる。なぜそう思うのかというと、第一部では主人公も含めて殺人者が登場するが、彼らに物語の神の立場で罰を与えてはいないからである。しかし、安易な赦しも与えていない。彼らが殺人者であるという事実に直面させ、その上で彼らの生き方を描いている。これについては同作者のエンジェル・ハウリングにも同様の特徴がある。
そして第一部では、アザリーのチャイルドマンへの償いを通じて、この世界の秘密が語られる。この秘密の明かし方は非常にドラマティックに演出され、私は陶酔すらした。
この演出の妙があまりにも素晴らしかったので、私も含めて多くの読者はこの物語を夢と冒険のファンタジーだと誤解したのだと思う。精緻に設定された世界を楽しむ物語なのだと。
しかし違った。作者は世界を描くということに、もっと自覚的であった。その自覚が存分に描かれるのが第二部、東部編である。
東部編は西部編で明かされた世界の秘密、滅びに晒されている世界を6種のドラゴン種族の長たちだけで守っているという事実に対して、そのために現れる世界の歪みと、その世界の在り方をどう捉えるのかということを克明に描いていく。これもまた、倫理的な話である。
最終的に、オーフェンにはその歪みを好きなように書き換える機会が与えられた。歪みを正す機会ではない。好きなように書き換える機会である。
この時の彼は神にも等しい魔王の力を持っており、ドラゴン種族の守りをより完璧にすることも、自身がドラゴン種族の代わりに世界の守護者になることも、好きに選べた。
しかし、オーフェンはごく僅かな人々が世界を守るという在り方を否定した。世界が滅ぶことによって死ぬかもしれないというリスクは全ての人で平等に背負うべきだという道を選んだ。そして、ドラゴン種族の守りを消し去ったのである。
例えば、これをかつての王制になぞらえることも出来ると思う。王制と言えば王権による暴力ばかりが注目されがちだが、政治という大きなものをひと握りの人間に押し付ける装置でもあった。これをドラゴン種族の長達による世界の守りと同等の問題だと見做すことは出来るだろう。
そうした世界の在り方を認めてよいのか?という問題に否という答えを出したのが第二部であった。
第四部では、力と人間の極限を描く。力の強大化が行き着く先はどこか。人間が強大化する力を持ったとき、いつまで人間と呼べる存在でいられるのか。そうした問題を扱う。
オーフェンが第二部のクライマックスで手に入れた魔王の力はそれから20年経ってもまだ彼の中に残っていた。しかし、オーフェンはその力を振るえば自分は人間ではいられなくなると考え、その力を自らの自制心だけで抑え続けてきた。オーフェンがドラゴン種族の守りを消し去ったことが原因で遭遇することになった神人災害でどれだけの人が死のうとも、それらを全て蘇らせることが出来るのに、だ。
この、とても人間とは思えない自制心故に人間でいられるという二律背反を背負ったオーフェンと、それを生み出した作者の秋田禎信氏に深く敬服の念を抱く。
現実世界の女なんてカスに見えるぐらい高性能にした方がいいと思う。そしたら、非モテは「ロボットは三次元より遙かにいいから俺は勝ち組」と自尊心を持ち、モテる奴は「三次元を落とせる俺は勝ち組」と優越感に浸れる。お互いが優越感に浸り合えばみんな幸せじゃん
「1000万円以上の利益を出せる人間だけを雇って1000万円だけ給料を払えば確実に儲かるのではないのではなかろうか?」
「ハズレ馬券を買わずあたり馬券だけを買えば確実に儲かるのではなかろうか?」
「成果が見込めない研究は予算を縮小して、成果を出す研究にだけ予算を出せば科学は発展するのはなかろうか」
https://togetter.com/li/1250965
これ貼ってほしいと思って書いたんだろ?正直に言えよ。
なんで反対しているの?
コロナ禍の現在なら分かるよ。でも、開催決まってからずっと反対している人に、その理由を教えて欲しい。
お金がかかるって言う話もあるけど、そのお金は消えた訳じゃなくて、どこかの企業の売上になって、さらにそこの取引先の売上になったり、社員の給料になってるんだよ。
古い話だけど、2016〜2018年ごろの土建業とその周辺産業はかなりの好景気だったよ。もちろん1人親方の所得や、社員のボーナス、バイトの単価など、企業以外のところもプラスだった。人手不足で工賃が上がって、着工できない、みたいなニュースも流れていたじゃん。
それとも赤字国債はいつか自分の首を締めるっていう意見かな? 自分はMMT信者、ただし租税貨幣論によりBIのみの無税国家は無理、と言う立場なんで、赤字国債による財政破綻の可能性は信じていません。なのでここで意見が食い違うなら、相互の違いを受け入れます。
オリンピックより復興という話もあるけど、予算推移を見れば分かるとおり、福島以外の復興は2015年ごろにはほぼ完了しており、さらに福島の場合は予算を入れてもすぐに解決する訳じゃ無いので追加投入しても効果が薄い(多重下請構造はどうかなぁ、という気もするが)。
当時の一部はてなーは反緊縮を訴える反面、自民憎しからアベノミクスの財政出動に反対してたし、そこら辺の流れが続いてオリンピック反対してるのかな、という気もする。
本来、思想的に左派なら公共投資拡大には賛成すると思うので、なぜ左派が多いはてなーが反対するのがどうしても疑問。通常反対するのは右派だと思うが、右派は右派で国威発揚ということで受け入れちゃってるし。
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> 大変解りやすい解説をありがとうございます🙏🏻🩲 <
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そっかぁ、甘々なのかぁ。
要するに面倒臭くていいじゃんって事でしょう
涙でねずみの絵を描くんだよ🐭ねずこー
疲れて一人暮らしと言うことも多いですよね