2021-02-05

「うっせえわ」より痛い人たち

最近テレビなどで、Adoさんの「うっせえわ」が10代に人気であると取り上げられている。

私もこの曲を聴いてみたが、過激暴力的ハードロックの曲調と詞が印象的だ。確かにこれは若い人々の気持ちを代弁しているといえる。私が19歳頃に抱いていた気持ちに近い。

一方でこの曲を痛々しいと批判する人も多い。「こんな曲を聴くなんて幼い」「結局何もしない口だけの人間のざれ言」など色んな声がある。その事についてまとめサイト記事でも少なからず取り上げられた。

私はこの意見が出るのは当然かもしれないと思った。このような曲には一定数の人は反感を覚えるものだ。昔の愚かな自分を思い出すという共感性羞恥を覚える人やそもそも曲風が馴染まないなど理由は様々だ。このような感想はあっていい。

その上で「かつての自分の痛々しさを思い出される」という理由でこの曲を否定する人を、私は痛々しいと思う。

「うっせえわ」を否定したところで自らの痛々しい経歴は変わらないからだ。人々はそれぞれの性格環境から各々の業を背負い生きている。その人の振る舞いを見ればその人がどのような人生を歩んでいるのか分かるくらいだ。私の人生の遍歴が分かる察しのいい人もこの記事の読者にいるであろう。

そのため過去に痛々しいことをした人が、痛々しい歌を否定することで「綺麗」になろうとしているのがかえって痛々しく思えるのだ。かえって自分の愚行を言い触らしているようなものである。本当に綺麗になりたければ他にやるべきことはあるであろうに。実際にそれで綺麗になった人もいるだけに彼らの恥の上塗りが目立つのだ。

私も正直この「うっせえわ」を聴いて、痛々しさを感じた。だけどもそれ以上にこの曲を叩いて綺麗になろうとする人々の業にはより激しい痛々しさを感じたのだった。

  • うっせえわより痛い曲などいくらでもある。 つ https://www.youtube.com/watch?v=PRJvugGpzkU

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