追記
楽しく反応の欄やブックマークのコメントを読みました。
申し訳なかった点、迷惑がかかる可能性がありそうだったコメントについて追記します。
・『花束みたいな恋をした』のネタバレが含まれているというコメントが見られますが、CMやフライヤーから読み取れることしか書いてありません。
これをネタバレとするのであれば読まないでください。映画を楽しみにしている方に水を差してしまったことをお詫びします。
・文筆のプロの方の名前が出ているようですが、その方とは無関係ですので否定しておきます。
追記ここまで
7年以上付き合って別れたことがある。もう何年も前の話だ。
交際相手とは幼馴染で学生の頃から付き合っていた。
若い頃から付き合っていたし、別れた時も若かった。若いながらに将来のことを考えていたし、結婚を考えて話をしていた。
なにより付き合っていた時はとても楽しかった。いろいろなところでいろいろなことを一緒にした。
ファミレスにも行ったし、少し高い店にも行った。飲み物もコーヒーやジュースからお酒に変わったりした。
たとえ別れるような状況になっても、それを乗り越えられると本気で思っていた。
ケンカもほとんどしなかった。お互いその状況で考えうる限り誠実な付き合いをしていたと思う。
すべての恋は期限つきだということは察していたけれど、若かったからそれは何十年も先のことだと思っていた。
とにかく私の気持ちが切れてしまって、別れ話を切り出した。
理由はいくつかあったが、きっかけとなったのは他に好きな人ができたという在り来たりなものだった。
その日、友人と偶発的デートが発生してしまった。本来複数人で出かける予定だったが、のっぴきならない事情により2人で出かける予定になった。
同伴者である友人に恋愛感情はなかったし、交際相手のことが好きだったからこれをデートだと思わなかった。
私は割合と正直な質で、長い付き合いにはそうであることが大切だし不可欠であると思っていた。
それにも関わらず、偶然発生した状況とはいえ2人で出かけているとは交際相手には言うことができなかった。恋愛感情はなかったと書いたがもしかしたらそう思っていただけだったのかもしれない。
美術館にいく予定だった。
交際相手とは絵画の趣味も全く合わなかった。好きな画家を小馬鹿にされたりしたことがあるから一緒に美術館に行くことなんてまずありえなかった。
友人とはどうやら絵画の趣味まで合うようだった。こんなに楽なことがあるのかと感激した。
そもそも交際相手とであれば絵画の感想を言い合うという状況にならないから余計に感動的に感じたのだと思う。
交際相手としか交際経験がなかったし、これまでいかに盲目的だったのか、私が私自身にいかに制限をかけていたのかを急に理解した瞬間でもあった。
別に同伴者には私に恋愛感情なんてなかったと思うけれど、完全に恋をしてしまった。片思いでもいいと思った。
こう思ってしまってはいよいよおしまいだ。
同時にこんな不誠実な気持ちはすぐに交際相手に報告しなければならない という気持ちでいっぱいになった。
夕方、お互い帰路につき、交際相手に今から会えるか連絡した。
場所はファミレスにした。別れるのに最適な場所だと年上の友人に聞いたことがあったから。
お互いこの日のことがフラッシュバックする機会を最小限に抑えたほうが幸せだとおもったから、ファミレスの中でもマイナーなファミレスを選んだ。
いつかデートで行った適当な店でも思い出せるのに、別れ話をした店を忘れることができるわけがないのだ。
全国展開しているファミレスでこのような思い出を作ってしまうことは、フラッシュバックしてしまう可能性を考えると全く合理的ではない。
この理論で行くと個人でやっている喫茶店やなんでも無い場所でこの話をすればよかったのだが、ファミレスという場の力を借りざるを得なかった。
あの誰もが誰にも興味がないのにもかかわらず公の場であるという事実が、声を荒げてしまうことや、号泣してしまうこと防ぐ。
交際相手は普通にデートだと思っていたから普通におしゃれをしてきてくれていたと思う。
「別れ話をするからファミレスに来てください」とかそういうことは言えなくて、いつもどおり誘ってしまった自分はとてもずるい人間だなと未だに申し訳なく思う。
伝えたくてしょうがなかったから飲み物に口をつける間もなくまず話をした。
相手は泣いていたし、手を握られて、それでもいいからこのままで居てくれと懇々と諭されたのを覚えている。
好きな人ができる前から別れることは少しだけ考えていた。なにより他に好きな人ができてしまった自分に相手を付き合わせるというのはとても失礼なことだと思っていた。
それでも諭されたのは驚いたが、私がその立場だったら何時間でも諭すのだと思う。悔しいし悲しいから。
意思は固かったし、何時間かして相手が折れて「せめて最後に一緒に帰ろう」という提案をされても1人で帰ってもらうことを促すことしかできなかったし、とにかく何回も謝った。
何回もごめんと言ったし、ドリンクバーしか頼まなかった。最後に1人で会計をしたときドリンクバーだけなのに高いなと思った。こんな状況で高いとか安いとかもう1杯コーヒー飲めばよかったかなとか思える自分のことを結構嫌いになった。
元交際相手と反目しあっているという状況はこの世でダサいことのトップ8に5位にランクインすることだと思うから、そういう状況にはなりたくなかったのだけれどSNSでブロックされたり悪口を吹聴されたり、とにかくダサい別れ方となってしまった。
それもそのはずで、ファミレスで説明を求められたとき、好きな人ができたからという理由以外にも今まで不満に思っていたことの3割くらいを伝えてしまったからだ。
交際は2人でするものだから、2人のクローズドな話をたとえ仲の良い友達でもあまりしたくない というのが私の考えで、相手はなにかと友人に相談や助言を求めていた。
それは自分の意見なのか?と聞きたくなることがあったし、あまり公にしたくない状況や話がその友達に相談することによって公になってしまうことを考えられないというのが理解できなかった。友人に相談するのが世間一般に普通であることは了解している。
なにかと占い師に相談して今後の行き先を決めるいうのも全く理解できなかった。あれは脳が働いているのであれば頼る必要がない稼業だ。こういう言わなければいいこと言ってしまった。
私達の中にはこれまでのたくさんの楽しい思い出があって、それを慈しみながらこれからまた生きていきたいという気持ちも大きかったが、とにかく自分がいろいろなものを漏らしてしまったことがすべてを台無しにしたのだと思う。
思い出は不変だと思っていたけど、相手の気持ちになってみると、急に好きな人ができたから別れてくれと言われて別れた人との思い出は、どれだけ良い思い出でも最低なものになってしまうものなのかもしれない。
振られたことがないからわからない。いつか振られることがあったら答え合わせができる。そういうのもなしではないが可能であるのなら体験したくはない。
しかし元交際相手にSNSでブロックされているというのはダサいな、とたまにあのファミレスを見かけると思い出す。
「5年後あなたを見つけたら背筋を伸ばして声をかけるね」と神が歌っているが、それはやはり神であるaikoの世界の話であって、多分そういう状況に置かれても気づかないふりをしてすれ違うだけなのだと思う。
それでも付き合っていた何年間かのことを折りにふれ思い出し、なにかの支えとになったりするのだ。それが恋愛の醍醐味なのだろう。
こうやって文を締めくくるのは文が上手い人がやって初めて余韻が発生するものだから、もう少し書く。
『花束みたいな恋をした』という映画が現在上映されている。この映画では私が思い描く最高の別れ方が書かれていた。
今の恋人と観に行った。別れる時はああやって別れようと話した。そのあと東京国立近代美術館に行って絵を観た。
一度だけ読み返したが、全くこいつは自分本位であるな、と思った。
読まれることのない文章を書きなぐるというのはとても楽しいものだとわかった。
長すぎ
別に自分本位でもいいと思う。自分も昨年あっけない別れ方をしたけど、”交際は2人でするものだから、2人のクローズドな…”の部分はすごい共感した。
正直に言うけどそれ相手からしたら「もう終わってる相手だけどキープしてた。そんなしょうもない相手に見限られてしまったのがショック」って感じじゃない?
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経験が少ないことそれ自体が人を残酷なものにしてしまうのだなあ。 分からん、その方が幸せにはなれるのかも知れないが。
ぜんぶよんでないけどいい文章だね。 時代性がなく、たとえば戦前のカップルにおきかえても通じる内容だ。 しいていればファミレスあたりがかろうじて時代性がある描写。 これぞ文...
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