モータースポーツの世界にはコンピューターゲーム、eスポーツ出身者が存在する。
レースゲームの大会の優勝者を現実のレーシングカーに乗せて、本物のレーシングドライバーにするというプロジェクトが十数年前行われたが、それ以来そのような例は珍しいものではなくなった。
現実を十分にシミュレーションできたものなら、バーチャルの世界の経験も、現実の世界の経験と同質になるということだ。
そう考えるとシミュレーターによる訓練は有効性があるのだから、もっといろいろな分野でお金をかけて装置を開発すればよいのにと考える。
話は飛ぶが、この世界が仮想現実、つくられた世界なのではないか?という説がある。
これは上記の考えを突き詰めていけば当然想定されることだ。
人間社会をよりよくするためにシミュレーションするためのつくられた世界がこの世界ではないのか。
そうだとして、では、なぜ現代が必要なのかという疑問は湧き上がる。
そのような科学技術が十分に発達した未来において非常に過去である21世紀を演算する必要性とはなにか?
これはおそらく、おそろしいほどの、演算数を、非常に過去にまでさかのぼって行っているのだろう。
バタフライエフェクトではないが、過去のちょっとした出来事、その日、5分間雨が降ったことと降らないことでは、1125年後の世界にどのような影響を与えるのか、そういったことを計算しているのだ。
もちろん、そういった細かいことだけではなく、大きな歴史イベントの変数を調整して演算したりもするだろう。
そういう風に考えると、昨今の米国における政治情勢であるとかも、興味深い対象として受け入れることが出来るかもしれない。
色々とひどいことが起こる世の中だが、シミュレーターの変数の一つであると考えれば、多少は興味の対象として感情的になるだけではなく、頭を回転させることも出来るのではないだろうか。