「商売になる」と「商売にならない」の間に「なにか科学的に検証すれば面白い」「科学的な検証を積み重ねきれば新しい商売になるかもしれないが、現時点ではいつ完成するかは全く読めない」
という幅広い領域があったんだよね。
そして、資本主義は本来全く別の新自由主義とケインズ主義の別物が含まれている。1930-1990年の資本主義とはケインズ主義、1990年-2020年の資本主義とは新自由主義。
だが、新自由主義は科学的検証の領域を確実に商売になるものしか認めないと狭めた。
ケインズ主義は、資金調達しての支出を初項、消費性向を公比とした等比数列の和と言うのを示した側面もある。資金調達しての支出が必要ということで、
政府は確率が低いが必要な物事に金と時間を出してきた。インフラ、防災、科学、医療、福祉、弱者救済など。
無論、確率が低いが必要な物事は商売でいくら儲かるか、あるいはいくら損するかというものさしが使いづらいえないために、事業相互の比較や規模がどれぐらい適切化を見積もりづらい。
だけども、新自由主義はそもそも見もしないから、商売になる前の段階のものがすっからかんになる。アホをおだてて起業だイノベーションだと叫ぶ連中の声がこだまするだけでどんどん日本は衰退する一方。
なるほどー 何となく今の閉塞感を少しだけ俯瞰できたような気になれた。
まあもう海外じゃ新自由主義は共産主義同様二度と歴史上失敗としてカタが付いた過去の遺物として扱われてるしなあ。 ひたすら金融緩和して株価持ち上げたアベノミクスも日本じゃ叩...
シカゴ学派いっぱいいるじゃん