2020-12-04

宅八郎は何をした人物なのか

宅八郎が亡くなったというニュースが流れて、彼に関するツイートが増えているがどれも彼の全体を捉えていないように思う。宅の活動はざっくりと前期、中期、後期と分けられるだろう。

 

前期:おたく評論家

宅八郎デビューは90年に出たSPA!のおたく特集。ここで宅は長髪眼鏡、よれよれのシャツマジックハンドというすでに完成された姿で登場する。

この特集日本アニメ特撮文化のすごさやそれらがこれから日本経済を引っ張っていくだろうというもの。のちに言われるオタク文化論がここで完成されているところにも今なら注目できるが、当時は宅の風貌キャラクターけが注目されたようだ。この記事宮崎事件によってオタク偏見を持っていた世間へのカウンターとして作られていて、宅の問題意識もそこにあることが記事を読むとわかる。

いかにもオタクっぽい風貌をして特撮アイドルを語る宅を面白がったのは電気グルーヴフリッパーズギターなべやかんといった今で言えばサブカル文化人といった人たち(当時はオタク文化人なんていなかった)。そしてなぜかビートたけし。たけしが宅を気に入ったことでバラエティ番組に出るようになった。

宅の異様なキャラクター世間も食いつき、テレビ番組によく出るタレント化する。

この頃に文筆業で書いていたのは昔の特撮を懐かしがるような軽妙なもの。あとアイドルと対談したり。

宅の守備範囲は古い特撮アニメが主だったので、本物のオタクには「そんなに詳しくない」とも思われたようだが、オタク文化に詳しい人がまだテレビにぜんぜん出ていない時期だったからか、「異様な知識量」「裏に何人もブレーンがいるはず」と言われていた。

当時はオタクが物珍しかたこともあっていろんな番組でいじられていた。この時代芸人よゐこも「オタッキー」といじられていた。

宅のイメージがこの時代で止まっている人も多いと思う。

 

中期:処刑執行人期

90年代半ばから宅の活動は変わる。

おたく評論家というよりも、マスコミ被害に対して激しい問題提起をする人になる。

自分悪口を書いた編集者や当時の彼女に付き纏った記者に対して、同じ方法報復するという手段に出る。マスコミタレントにやることを、マスコミにやり返すという手法だ。

編集者記者に対して執拗につきまとい、編集者不倫を暴いてそれを雑誌実名で発表していく。

編集者と同じマンションに引っ越す、監視カメラを設置する、協力者を使って尾行プライベートを徹底的に暴くといった調子

それをリアルタイム雑誌で発表していくので異様な迫力がある。

その活動は著者の『処刑宣告』にまとめられているが、異常としか言いようのない執念で書かれている。現在言われるようなマスコミ報道に対する疑義を一人でやっていたとも言える。

オウムに対するマスコミ報道姿勢にも疑問を呈し、小林よしのり対立する。オウムを撮った森達也ドキュメンタリー『A』にも宅八郎は出てくる。

また本人の言によるとこの頃から北朝鮮への渡航も繰り返していて、公安マークされるようになっていたようだ。もはやオタクとは何も関係ない。

これらの活動で「厄介な人」というイメージがついたのか文筆、タレントともに露出量は少なくなった。

 

後期:ホストDJ

2000年以降は宅の活動ほとんど表に出なくなる。

しかし、たまにホストになったようだ、DJをやっているようだ、と「あの人は今」的に取り上げられていた。

音楽活動はわりと熱心にやっていたようで、ライブもやっていたし、CDも売っていた。

渋谷区長選にも立候補したが(落選した)、頼まれたからやっただけのようで、得票数を聞いて本人すら「意外と入ってるね」と言っていた。

あるインタビューでは「最近アルバイト鳶職をやっている」と答えていて、もはや活動実態がよくわからない。

2010年以降は表立った活動ほとんどしていないと言っていいだろう。

唯一ある文筆活動プラスティックスというバンドの本の注釈担当したのみ。

宅の訃報奥さんによって伝えられた、と話題になったが、結婚したことすら公表してなかった。

 

以上が宅八郎の主な活動であるが、筆者は宅と個人的な付き合いはなかったので、実像を知る人がより詳細な人物像を書いてくれることを期待している。

総合すると、宅の問題提起は鮮烈だが、その表現の仕方が過激すぎて誰もついてこれなくなる、という特徴があると思う。晩年は宅がなにをするかわからないので誰も起用できなかった。

宅八郎評価はこれから定まっていくと思う。

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