いわゆるネトウヨは、正しい側に立っている自分を演出し続けることで得られる精神的安定に依存しているので、黙っていることができない。
依存しているという表現に怒り出しそうな場合には、それが癖になっていると伝えれば良いのだろうか。
最近の学術会議関連は菅首相への擁護が辛い案件なので、ファクトチェックがしにくい海外の大統領選に一言呟くことで安心感を得ている。
彼らは政治に関心があり、正しい自分を演出するのが1番なので、見たくない事実は見えないし、見たい虚構が見えていると嘯く。
感情論、好き嫌いでモノを語るのが多いのは、自己が肥大化し、論ずべき客体と主体との分離が出来ないから。
むしろ褒めたい対象と自分が同じ側であることが彼らの心の拠り所なのだから主客分離は出来ない。
人間という生き物の自己像は、どうしても頭が肥大化してしまうものだった。
ネットを通じたコミュニケーションに熱中して、自我が肉体を離れスマホやパソコンの画面にこびりついていないだろうか。
ネトウヨかどうかは関係なく、ネットに興じるひとは一度目を閉じてひと息ついた方がいい。
読み直すこともしないのに、正しいを言うためにブクマしていないだろうか。
世の中に関心を持つことは悪いことでは無いが、それが本当に自分の関心時であるべきかを良く考えた方がいい。
ニュースに講釈を垂れるなら、それが本当に自分が言うべきことなのか、言って良いことなのか良く考えた方が良い。
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