ふと思いついたこと。
人は死んだらどうなるのか、この漠然とした疑問は自分の中ではただ無になるだけだと考えていたのだが、それはあくまでも主観的な無になることと理解しており、客観的な無にはならないと思っていた。
つまり主観的には感覚が感じ取れないわけだから無になるが、客観的(自分以外の)世界までも無になるとは考えていなかった。自分が死んでも他人は生きるし、存在し続ける世界が続いていくんだなと思っていた。
いつかは無になるがそれは時間の順番の話であり、自分が死んでも時間は変わらず進んでいくと考えていた。
今日ふと、もしかしたら自分が死んだら客観的な世界も無に帰すのでは?と思った。
まず宇宙の秩序も有限であるということ。つまり人の一生と同じくいつかは終わることは確実ということ。
次の理由は、私が産まれるまで宇宙の時間は数百億年あったにも関わらず私にその感覚はなく、私が産まれるまでは客観的な世界は存在しなかったということ。産まれてからは歴史からその客観性を学ぶことはできるが、それはあくまでも私の存在が前提条件になっている。
このことは私が死んでもその後の客観世界は時間の経過などないことを意味する。産まれるまでの百億年の感覚は私にはない。つまり私の生命としての終わりは有限である宇宙の秩序の終わりを意味するのではないか。
産まれる前と死んだ後は存在しないということは共通しているのだから。
そのため私の死はこの宇宙の死を意味する。正確には私の死から膨大な果てしない時の流れがあるのかもしれないが、産まれる前の無の存在と照らし合わせるとそうなる。
現象学とかを学んではいかがかな
ガイは余計なこと考えるな