2020-08-22

老人は延命治療しないほうがよい

と、最近コロナ介護話題を見ていて思う。

生い先短い老人に多量のリソース(人・モノ・金)を投入し、ほんのわずかに生き永らえたところで一体何になるのか。

別に生産性のない人間を生かすなと言っているわけではなく、延命する治療よりも、積極的麻薬処方などを行い苦しまずに幸せ死ぬための治療シフトしたほうが良いのではなかろうかと思う。

病院で苦しみながら延命され、さらにはまわりに多大なリソースの消費を強いている状態が本人にとってどれだけ幸せなのか疑問に思う。もし私なら、苦しまずに死なせてもらったほうが幸せだ。無闇に延命しなければ、自分の子供やまわりの人達に惜しまれながら幸せに死んでいけるものを、下手に延命するせいで最後のまわりの感想は「やっと死んだ」になってしまう。これは本人にとって延命して生き永らえることよりも遥かに不幸ではないか

認知症は新しい記憶から失われていくという。

これは、死への恐怖に向き合わず幸せ記憶だけ抱えて死んでいくための人間に備わった一つの機能ではないかとさえ思う。

認知症になったからといって殺す必要はないが、もし病にかかったら積極的治療は行わず自然に任せ、苦しむようなら楽に死ぬ治療を施すという風にすれば、本人もまわりも幸せに生を全うできるのではないだろうか。

前述のとおり「やっと死んだ」と思われるのは本人にとって最大の不幸だと思う。病の治療に苦しみながらただ毎日を過ごすだけの生が、苦しまずに死ぬことよりも価値があることなのだろうか。

生と死を考えたとき、生きることが絶対的に良いことだと思われがちだが、死んだほうが良いという選択が受け入れられる世の中に変わっていく必要があるのではないかと思う。

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