結論 : 嘘はやめよう
だから、まず断っておくと、この記事では読書が好きな人を否定しているわけじゃない。
読書の効能としてまず挙げられるのが読解力の向上だが、これには根拠が無い。読書の習慣と国語の成績に有意な相関があるというデータはない。
読解力は、自然に身に付くレベルを超える場合、意識的に訓練しない限り高めるのは難しい。
もちろん読書であっても、たとえば「ある程度内容のある本を、一節読むごとに要約して、添削してもらう」といったことをすれば読解力は上がるだろう。が、そんなことを日常的にしている読書家はほとんどいないだろう。
ちなみに「読書で読解力が上がった気になる理由」の方ははっきりしている。
つまり、あるキーワードに関連する文章を予測しやすくなったために、読解力が上がったように錯覚しているに過ぎない。たとえば、「ディープラーニング」というキーワードが含まれると、囲碁の話が出てくる場合が多い、というレベルの知識を蓄積しているに過ぎず、内容そのものを理解する力は上がっていない。
(もちろん、きちんとした読解力があった上で、そういう検索能力があることは、悪いことではない)
正直、読書至上主義者がいう「教養」っていうのが何のことだかサッパリ分からんので、何とも言えないのだが、読書で「心の豊かさ」とか「人生における重要な教訓」とか、そういうものは得られない。
(まあ、本人が「得られた」と思っているなら、それはそれでいいと思うが)
特に、夏目漱石とか森鴎外みたいな「小説」で教養がどうのこうのとか言ってる奴がたまにいるが、笑止千万である。
小説なんて単なるエンタテインメントであって、暇つぶし以上の意味はない。アニメやゲームで教養が身に付くと言っているのと変わらない。
(もちろん、小説家を目指すなら、表現の技巧などから得るものはあるのだろうが)
こっちも、「読書で教養が身に付いた気になる理由」ははっきりしている。
要するに、文章中の「格言」などを抜き出し、自己流に解釈して「深い」などと思っているだけのことである。
これも、内容の理解力を伴っていないという点が、上のセクションで述べたことと共通している。
要するに、読書至上主義者のいう「効能」の正体は、内容を理解せずに飛ばし読みをしたり、格言やフレーズを抜き出して勝手な解釈で味わうことに満足感を得ているだけなのだ。
読んでいない本について堂々と語る方法。
読書至上主義者の読み方をすると、そういう能力は向上するでしょうね。