2020-08-11

日本覇権をかけた戦いで西や南が東や北に勝った例

地方勢力の討伐ならたくさんあろうが、覇権をかけた戦いだと神武東征を無理矢理カウントしても、西や南の勝ちは稀である

壬申の乱は東に回り込んで尾張美濃勢力を味方につけた大海人皇子勝利スタート位置は南だが)

源平合戦も東の勝ち。

承久の乱も東の勝ち。

鎌倉幕府滅亡も新田義貞のおかげ。

室町幕府滅亡も東から

関ヶ原言わずもがな

しかし、室町幕府後醍醐天皇の争いは西日本からブーメランしてきた足利尊氏勝利する変態的なことになった(最強者東北にいたが)。

そして、幕末も(むしろ唯一?)西側が勝った。

維新志士が勤王じゃなかったと批判した足利尊氏戦争では一番倣うべき存在だったということに皮肉を感じる。

  • 逆だぞ 東が勝ったのではなくて、勝った側を歴史家が東軍と呼称してるだけ 相撲と同じで東の横綱>西の横綱って位置づけ

  • 山崎の戦いで秀吉は西から来たのでは あれも一つの天下分け目の戦だろう 賤ヶ岳の戦いも南からきてるし、小田原の戦いも西からきている

  • 鎌倉幕府滅亡も新田義貞のおかげ。 これは苦しいって自覚あるだろおまえ

  • 「出発は西/南だが実際の戦いでは東に回り込んでるから東の勝ち!」とか言ったら、関ヶ原だって東海道を南から攻め上がる東軍と、岐阜を押さえて北で待ち構える西軍の戦いやぞ。

  • 西側勝利 ・神武東征(日向で挙兵して大和を征服する) ・元弘の乱(山城・大和・河内などで挙兵して鎌倉幕府を倒す) ・山崎の戦い(備中から駆け戻って天王山で明智光秀を倒す) ...

  • 東西でみたhttps://anond.hatelabo.jp/20200811170757は雑だったので、 ちょっと考え直す。 京都に直結する海上の動脈である瀬戸内海周辺の勢力は日本の覇権争いに関心があるが (平氏・大内氏・...

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