そう言われて、友達が文字通り一人もいない私の前に連れて来られた彼女。
一体これはどういう事なんだと驚く私のところに、彼女は来てくれるようになった。
しかし、そこは友達ゼロの私。悲しいかな、彼女に差し出せるものは、苦痛の他に何一つ無かった。
だが、「お友達」になる役目を果たそうと彼女は努力を続けた。毎週毎週、何年も。
一方で私は、会えば必ず、抱える苦痛をボトボトとこぼして広げる他には何も脳が無い。
彼女は、私の代わりに私の苦痛を背負っていった。ただただ頷いて微笑んで、時に、控えめな慰めの言葉で。
代わりに背負っても背負っても、次々に私から溢れる苦痛はよくもまあ、底なしに尽きなかった。
ちなみに、内容は物凄く下らなくてどうしようも無い。みんなご存知ですけどね。
当然、これが「お友達」になれるとは到底思えなかった。彼女だけが自己犠牲を強いられているから。
「お友達」になるための努力を重ね続ける彼女に引け目を感じて、私は自分の中に苦痛を更に生み出していた。
螺旋を辿る繰り返しの年月。
気づいたら、私も、別の女性が背負う苦痛に肩を貸すようになっていた。
彼女がどうやって、私の肩を軽くしてくれてきたのか、記憶と感情を辿りながら。
相手を思いやり、観察して察して、その荷を軽くしてあげたりは出来ない。
私がやってるのは、ただ、目の前に降ろされた重荷だけを一緒に背負って行く真似だけ。
お友達の真似事に一歩近づけただろうか。彼女が何年も見せてくれたお手本を思い出しながら。
彼女と私のゴミ箱修行。しかし、メンタルは全く違っていて、それは真似られない。
もう恐れる必要も無い。抱える苦痛に打ちのめされる必要もない。
苦痛に苦しむのなら、私も慰めて背負える気がする。