わたしはここ数年、もうずっとインターネットで細々と絵を描いている。
一次創作の畑で育ち、山ほど自創作キャラクターに愛と情熱を注いで生きていた。うっかりソシャゲの沼に落ちて、本当に本当に大好きだったから応援したくて二次創作やファンアートを描いた。好きなカップリングができたらそのカップリングの絵を山ほど描いた。同人誌も出た。自分で描いておいてびっくりした。
最近、ハマっていたカップリング沼があった。詳しく言うと身バレ待ったなしなので具体的には伏せる。
そこまで規模は大きくはないけれど、程々に供給があってTwitter内の狭いコミュニティの中で、日々妄想やイラスト、小説、SSを書いたりして楽しく交流などもしていた、らしい。
新しい沼に入ったわたしは知らない情報をとことん漁る癖がある。過去にどんな情報があったのか、沢山教えて欲しいと交流に積極的だった。有識フォロワーから山のように頂いて狂った。その節はどうもありがとう。
わたしは所謂、カップリング絵を量産してそれを元に妄想などを始めるタイプのオタクだ。じつのところ、わたしは自分の絵が本当に大好きで、自分の絵が一番萌えるとまで思っている。
わたしの好きな絵で好きなカップリングを描いて、それについて延々とTwitterで語った。長文ツイを連投した。そしたら、フォロワーが増えた。すごく嬉しかった。わたしの絵でそのカップリングにハマったとまでリプをくれたフォロワーがいた。飛び上がって喜んだ。
元々わたしは交流に積極的で、Twitterでリプライを交わすよりも通話した方が楽しいと思っていて、作業通話も毎日のように募集していた。カップリングの話をするのは楽しかった。
そしたら、よく通話する人でグループサーバーなるものができた。気の利くフォロワーが、話せそうならここに来ると作ってくれた。わたしは嬉しかった。毎日4~5のカップリング絵を描いた。好きなカップリングの話をしながら描くのは本当に楽しかった。時々関係ない話もして、雰囲気のよいサーバーであったと思う。だから、仲がよくなったことによる気の緩みもあったのかもしれない。あるフォロワーが、こう言った。
「○○(わたし)さんがカプ絵毎日たくさん描いてくれるから、わたしは描かなくていいなって最近思うんだよね」
耳を疑った。
わたしは殆ど自分の為にカップリング絵を描いていて、沢山Twitterでも語って狂って、楽しくて仕方なかった。毎日新しいカップリング絵があるから自分は描かなくていい、という意見を初めて聞いた。悲しかった。だから、「自分の好きなシチュエーションは自分でしか描けないよ」と返した。
「でも○○(わたし)さん、リクエストしたら描いてくれるし、めちゃくちゃ解釈一致だから信頼できるんだよね」
わたしはできる限りリクエストを受けていた。自分の思考の及ばぬシチュエーションをくれるフォロワーが好きだった。天才だと褒め讃えた。こういう推しカプもいいよね、と話せるのが嬉しかった。だけど、わたしが描いてくれるから、なんてそんな信頼は要らなかった。わたしはリクエストを受けるのを辞めようと決めた。
わたしが二次創作をする理由は、自分の好きな物は自分でしか描けないと思っているからだ。勿論布教の意味もあるし、色んな人に好きなカップリングを知って貰えたら嬉しい。
でも、そのカップリングが好きな人が創作の手を辞めてしまうまでに、好きだからという理由で、知って欲しいという理由で、毎日、毎晩、休日は丸一日、沢山描いたことを悔やんだ。
沢山描けることが、本当にすごいこともわたしは分かっている。一次創作をしていた時に、毎日自創作の話で盛り上がった、すごく筆が早いフォロワーを思い出した。わたしは筆が早いという訳では無いが、命を削りながら創作活動をしていた。主に睡眠時間だった。今になってあまり良くなかったなとは思う。閑話休題。
わたしはそのとき、毎日のようにそのカップリングの絵を描いてTwitterにあげる人は、自分しかもう残っていなかったことに気付いた。皆、自分で好きなカップリングの絵を描けるのに。小説を書けるのに。わたしがそのカップリングにハマった当初にカップリングの話で盛り上がってくれていたフォロワーは、減っていた。
コミュニティを壊してしまったと泣いた。わたし一人がたくさん描いたからそこにいた人が消えた、アカウントが無くなった。毎日、長時間描けるのは才能に近いと思う。でもこんな才能要らなかったのかもしれない。
読み専の人が苦手になった。嫌いになった。
自分で描くことができるのに描かない人が怖くなった。
🔥🐉💩
おばさんのお気持ちうんこくしゃ〰︎〰︎い😹😹😹