幸福とは何かと考えてみて私は任意の対象への熱中のことだと考えるようになった。
何かに熱中している間、人はあらゆる熱中の対象以外、生老病死を忘却している。
「人は何事かに熱中しなければならない」
そのような規範的意識もまた苦痛を呼ぶことは別にして、何事かに熱中している人間が苦痛を忘れていることもまた事実なのだ。
であれば、何事についても熱中できるような人間性を今からでも構築するべきなのか悩む。
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