もう一人の背広はなぜと問う、彼曰く男の格とやらは身に着ける物の値段で決まるそうだ。
高級時計を着けた背広にはそのブランドがなぜ高級たるに至ったかなど決して理解しないし出来ないだろう。
本来トリオビス緩急針が用いられる所を、エタクロン緩急針に変えられていたところで気付きもしないだろう。
高級品はそれの深きを考え、探り、追求するからこそ面白いのではないのだろうか?
もちろんこれは上のバカに対する私の問いかけであるから、高級品に限ったことではない。
高級だろうが低級だろうが最早関係なく、好きか嫌いかで考えるべきであると思うのだ。
そしてその物がなぜ好きであるか?なぜ嫌いであるか?それらを考え、探り、追求し延いては理解し始めて人に話せるものであると私は思うのだ。
見栄を張りたいが為に何も考えず高級車に乗る、高級時計を身に着ける。それを人に自慢しあまつさえ人に強要しようとさえする。
フリマサイトを見渡せば、本来100万円近くする時計が数万円で販売されている。偽造品である。
偽造品は一見するに真正品と同じ外見なれど、そのガワも中身も真正品のような美学は無く、非常に良く似た粗悪品に他ならない。されども安価で容易に華族気分が味わえるからと、手を出す者は後を絶たず。コスパが良いと自己肯定をしながら、彼等は今日も糞をこねくり回した汚い手で作られた偽造品を身に着けて大手を振っている。
令和2年6月16日
バブル世代かそれに感化された40代生存競争勝ち残り組だろうなぁ