使ったらいけなくはないだろう。
「男なら(たとえ子供を産むことになっても)こんな差別は受けない」は正しい。
「子供を産まなければいい」と簡単に言うが、その選択肢があるのとないのではやはり違う。あちらには許されている人がいる一方で、こちらが許されないのはやはり差別だ。「子供を産むのは罪である」という反出生主義の立場にたったとしても、「ではその罪を免罪されているのは誰か?」「罰を受けないのは誰か?」という視点で見れば、やはり女性差別は見えてくる。
それはわかる。もうわかった。
わかったから、我々のようなアセクシャルが、透明化される存在が、普段どのような気持ちでいるのかについても想像して欲しい。私はシス男性だが、いい加減一括りにされるのはうんざりだと言わせて欲しい。
よく「子供のため」と言って、一般の大人が楽しむある特定の分野の娯楽を禁止しようとする別な大人(親など)が居るが、それが、大人(親など)のエゴイズムであって、「子供のため」にならないことになぜ気づかないのか。つまり、その子供にサービスを提供する一般の大人が、その娯楽を奪われることによって生き甲斐をなくし、だんだん減ってしまって、結果的にその「子供」が将来的に不利益を被る可能性をどうして考えないのだろう。
そのわかりやすい例が少子化だし、自殺者の多さだろう。皆が子供を育てないのは、金がないからじゃなく、大人(親など)が、この世をそもそも楽しくないものにしてしまったからだ。行政が補助金として、いくら金を積んだってダメなのだ。あらゆる娯楽を許容して初めて、子供を産み育てる苦痛が贖われうる社会になるのだ。
それなのに、大人(親など)が「子供のため」だと、大人の娯楽を規制したがために、それが生きづらさからの少子化につながり、その「子供」の世代に、「子供」にサービスを提供する人間がほとんど居なくなってしまうという先送りした因果応報。それは、「子供のため」を理由にして、自分の気に入らないものを潰そうとするエゴイズムを通す大人(親など)から「子供」への素敵なプレゼントなのだろう。まさに「素晴らしき新世界」。ある意味での環境破壊だとも言える。その「子供」自身だって、大人になったらいつかその生きづらさに困り果ててしまうだろう。その頃にはその大人(親など)は居なくなっているから、「子供」が嘆き悲しもうがもう関係ないのかもしれないが。
そして、そもそもその子供を出産した行為自体だって、大人(親など)の娯楽の一つの結果だろう。なに御立派なこと言ってるんだか。子供には出産に至る行為をさせない気なのだろうか。それでいて、子供が成人年齢になって孫を求めてたら満点大笑い。お前(親など)が大人の娯楽を規制するよう努力したせいで、出産につながる行為のやり方がわからないし、相手も尻込みしてんだよ、っていう。
というか、子供を出産することこそ、子供に対する最初にして最大の虐待ではないのか。ここは大人(親など)がまず直視すべき問題。この世に産んだから、子供はあらゆる苦難を乗り越えなくてはいけなくなったのだ。大人の娯楽を社会に対して抑圧するより、出産という自分自身の最大の虐待行為をまず反省すべきではないのか。つまり、怒りの矛先は、社会でなく自分自身に向けるべきである。それこそ、愛すべき自分の「子供」のためにだ。娯楽の反省は社会に対してでなく、子供に面と向かって謝るべきではないのか。
つまりは、「子供のため」と言って、大人の娯楽を抑圧することで生きづらさからの少子化を招き、子供自身の未来を制約するよりも、まずはその出産を子供に「ごめんね」って謝れば許されると思う。それが二重に子供のためだと思う。
ということを書いたのは、最近、分割統治により、他人の趣味や娯楽を抑圧する趣味の人間が増えてきて、怖くなってきたからだ。
一般論として、法的理由も無しに不快感だけで他人の趣味や娯楽を抑圧してはいけない、という事実には皆同意するのに、具体論になると、自らの不快感を唯一の正義として、嬉々として他人の趣味や娯楽を抑圧して楽しむ人々が増えてきたように思う。その一例が「子供のため」というものだ。
いつか同じようにして、自分の趣味や娯楽が不快感だけで抑圧される可能性は考えないのだろうか。自分の趣味や娯楽は不快感が無いと信じているのだろうか。その子育てだって、単なる趣味や娯楽の一つでしかないのに。それとも、自分の趣味や娯楽に矛先が向かないように、他人の趣味や娯楽を槍玉に挙げているのだろうか。みんながもっと趣味や娯楽や自由を限りなく追及するようになればいいのに。
情緒的には「不公平」に見えてもそんなに単純じゃない。生まれつきの女性でもテストステロンの値が先天的に高いせいで「ずるい」と言われているアスリートがたびたびニュースになるけれど、そういう選手ならOKで、トランスの選手はダメってなる場合、その基準をどう正当化するのかという問題はある。
ほとんどのスポーツが肉体的優位性=競技上の優位性につながるようにデザインされている以上、より男性に近い肉体の人間が勝利するのは当然で、じゃあそもそも女性がスポーツで競うことってなんなの?という根本的な問いにも向き合わなければならなくなる。
僕ヤバの楽しみのひとつは埋め込まれた考察ポイントの答え探しなのだが、いくら考えても検索してもスッキリした答えが見つからない事も。
その最たる1つが
という事で、未だに完全に納得できる説明を見つけられずにいる。
超重要アイテム・ミルクティーが登場したのは職業見学編の最後。
マンガ編集部見学を経て市川の新しい面を知った山田が市川への意識を強めていくなか、
「飲み物くらいはいいだろ」と市川が差し出したのがミルクティーだった。
手渡されたペットボトルがミルクティーだと気付いた山田は自分でもわかるほどに赤面、顔を上げられなくなってしまう。
この瞬間山田が恋に落ちたのは「片想いの終わりに」と言うのりお先生のコメントもあって間違いないと思うのだが、一体このときに何が起こったと言うのだろう?
「ありがとう」でも「優しいね」でも「嬉しい」でもなく「緊張まじりの驚き」。
もし市川が正体を隠した殺人犯でミルクティーが決定的証拠なら、
と気付いてこんな顔をしそうな表情。
要するにこの場面では何か重要な事に気付いたのだろうし、目一杯顔を赤くしている事から「市川が私を好き」か「私は市川が好き」のどちらかだという事は間違いなさそうに思える。
山田が恋を自覚するのが karte.30 という前提を踏まえれば消去法で「市川が私を好き」と気付いたと考える他ない。
さらに問題なのは、なぜそういった気付きがミルクティーを見た事で引き出されたのか?という事。
「飲み物くらいはいい」「ミルクティー」の合わせ技で市川が職業見学の朝の山田達のやり取りを気にかけていた事は分かる。
なんならツイヤバの「好きなものクイズ」を覚えていたとしてもいい。
だとしても、それだけで市川が山田を好きと確信するには弱すぎる。
ミルクティー?
→え?なんで知って?
→赤面
くらいのステップを踏みそうなところを、
ミルクティー?
→ 赤面
なのだ。ありがとうの一言をいう間もなく、一瞬で気が付いてあの表情。
例えば「君オク」にそういうエピソードがあるという類の。
このとき山田が気付いた事が、まったく想定外な事だったらどうだろう。
例えば、山田はこの時初めて「ご自由にお使いくださいティッシュ」の主が市川だと気付いた、とか。
顔を伏せて落ち込む山田は涙を流しており、それを不器用な優しさで励ます様子は karte.15 を連想させなくもない。
山田はあのティッシュを大事に取っておいているし、もし誰の仕業か気づいていないのだとしたら「紫のバラの人(古!)」的に心の拠り所にしているかもしれない。
でもこの説は当然ダメ。
ティッシュが市川の仕業と気づかないと、そもそも山田が市川に心を開く理由が無くなってしまう。
とりあえず、ミルクティーは市川がいつも山田を大事に思ってきた事の表れ、と言うことにして何とか飲み込んでいるが、このモヤモヤを晴らせる日は来るのだろうか。
情報求む
ブコメでは書ききれないので。専門家ではないので間違いがあるかもしれません。あったら是非教えてください。
これは大きさが増すとき、面積(だいたい問題になるのは断面積)は長さの二乗で増えるのに対して、体積(だいたい問題になるのは質量)は三乗で増える、という考えてみれば当たり前の法則だ。
わかりやすく、有名なのが「巨大怪獣・巨大ロボ問題」だ。仮に人間と同等のものを10倍にしたとき、体重は1000倍になる。しかし、足の断面積は100倍にしかならず、通常サイズの人間に比べて10倍の負荷が足にかかるため、結果立てない、という問題である。
他にも表面積と熱など、ベルクマンの法則(恒温動物は寒い所=高緯度の方が大きい)や逆ベルクマンの法則(変温動物は逆に暖かい所=低緯度の方が大きい)など、生物の大きさに関わっているので興味がある方は是非調べて欲しい。
結果として小さい方がより少ない断面積=筋肉で体を効率的に動かせる。
また逆ベルクマンの法則により(昆虫は変温動物)、高温の方がより巨大化でき、酸素量が多い方が当然エネルギー効率も良くなる。
(ちなみによくある「のみが人間サイズならこんなに高く飛べる」とか「蟻が人間サイズならこんなに力持ち」も、実際には立つことすらできないことが容易に想像できる。)
おそらく息はしてたであろうことしか覚えてないなあ
社会人になって以来パートさんがいる職場で正社員として働いてきた
(勿論ゴシップの嫌いなパートさんもいるだろうが、大勢の中年女性が集まると会話で主導権を握る者が現れる。そういう人はゴシップが好きなのだ)
私も人並みに噂話への興味や理不尽な生活への愚痴はあるので彼女らとの世間話に口籠ってしまうことはなかった
しかしどうやら私自身の置かれている環境が彼女らにとっては攻撃対象なのだ
大学生の頃は意識してなかったけどうちの一族はお金持ちの地主で子々孫々まで約束された高学歴だったのか
どんな悩みを話してもその一端に滲む金持ち要素、高学歴要素を抽出培養されてそこにだけ着目される
でも日々口を滑らせて皮肉で返されるたびに私って本当は金持ちで高学歴なんじゃないかという傲慢が膨らんでいく
幼い頃から十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人とは聞かされてきたけど実は今でも自分のこと、ことさら昔から夢見ていた今の仕事に関しては天才だと思ってるし
小学校の頃は家に使用人がいて床が大理石なことや海外旅行の頻度、学校の設備が整ってたことやクラスメイトの親も社長とかだったことを謎の根拠に自分はお嬢様だと思い込んでいた
そういう気持ちがでかくなりすぎるのが怖い
自慢ばかりしてまともに人と会話できなくなりそうで
この3ヶ月、ほとんど家で過ごしていたんだけど、せっかくだから自粛期間中にやってたことをまとめてみた。こうして書いてみると意外といろいろやってたかもしれん。みんな何やってた?
やりたかったけど、やってなかったゲームを一通り。デスストランディング、十三騎兵防衛圏、デトロイトビカムヒューマン、スパイダーマン、ff7リメイクなどなど。十三騎兵面白かったなー
○ 名探偵コナン一気見
小学生の頃は好きだったけど、話が中々進まないから途中で諦めてたコナン。ネットで検索して、黒の組織が絡んだストーリーだけをHuluで観た。って言っても、それだけでも軽く200話くらいあるし、映画もあるし、なおかつアニメ追いついてしまったから、最新刊までコミックスで補完した。映画一年後めっちゃ楽しみ。
○ 散歩
ラジオを聴きながら散歩。これはコロナ前から日常的に行ってるけど、普段はタイムフリーで深夜ラジオを聴いていただけだったのが、昼のラジオも時間がある時は聴くことが増えた。スーパーに昼飯の食材とか買いに行く時とかちょうど良い。もちろんマスク付けてるよ。
○ 自炊
以前は全くしなかった自炊だけど、コロナ禍になって、外食をするのがNGになってからはひたすら自炊をしている。パスタとかありきたりなものはもちろん、味付け卵とかサーモン漬けとか、鶏もも味噌漬けとか、漬け置き系を作ると普段の食卓が楽になることを覚えた。燻製とかも楽しい。コンビニ飯とかジャンクフードを全然食べなくなったから、寝つきとか寝起きとかよくなった気がする。あくまで感覚だけど。あと、普通に節約になる。
○ ジョギング
まあ、そりゃ太るよね。ってことでジョギング。もともとめっちゃ痩せ形(175cm/54kgくらい)だったんだけど、体重計に乗ったら63kgまで増えてた。このままだと太る一方だと思って、現状をキープするためにジョギング。形から入るタイプだから、ナイキのオンラインショップで一式揃えた。ラジオ聴く時間も増えるし、ちょうど良い。この前やっと5キロ30分切った。(ツライ)
○ Twitterの消去
前は暇さえあればTwitterを見るような生活をしていたけれど、コロナ禍になってからは一切見なくなった。理由は、雑音にしか聞こえなくなったから。知らない人の意見なんてそもそも知らなくて良いし、興味があることは自分で調べるし、話題になってるツイートはYahooトレンドで分かるしね。むしろストレスかなり減ったかも。
うーん、ざっとこんな感じだと思う。もっとあるかもしれないけど、大きく覚えてる限りだとこの辺。
ちなみに、早く出社したくてたまらない。家だとすぐベッドで仕事しちゃう。気付いたら眠くなって大変。リモートワーク向いてないことに気づいた。
超人類が、マジでありえんくらいクッソ増えまくった人口を多元宇宙に移民させまくるようになって、さすがにキレる程とっくに、六千万と半世紀が過ぎていた。はくちょう座V1489星の四方八方の信じられないほど巨大な人工都市は、超人類の第三兆五千億目の故郷となり、見上げても顔が見えないような大きさの人々は、そこでショベルカーを思わせるような子を産み、ビルのようなサイズに育て、そして半径500億kmを巻き込み死んでいった。……多元宇宙世紀000000079999999999、はくちょう座V1489星から気が遠くなるほど最もクソ遠い多元宇宙都市サイド3333334516721はネオジオンスカールフリート公国バンガードンズを鼓膜が擦り切れる程しつこく名乗り、地球連邦政府に独立戦争を三京二兆回挑んできた。この五億ヶ月あまりの戦いで、ネオジオンスカールフリート公国バンガードンズと連邦軍は総人口の一人残らず死に至らしめた。人々は、自らの行為に激恐怖した。ゲロヤバイ戦争はマジでまっっったく動かん膠着状態に入り、八十億ヶ月あまりが過ぎまくった…
アレくさに聞け
少なくとも、ネットで言われてるような、恋愛市場の上位3割の強者で、極論だがエロゲーやNTRもののエロ漫画や、エロアニメに出てくるような女とっかえひっかえしたり狙った女落として10人も20人も経験人数があり常にセフレをキープしている、なんていう奴、男のオレから見ても観測範囲を極限まで広げても全然いないんだけど、
でも、そういうのかならずどこかに結構いるから、モテない奴や淡白な奴はダメだって言説多いじゃん、あれ絶対おかしいよな。
だってさ、現実問題ニュース見てても、家が金持ちで慶応ボーイで読モとか、東大グランプリでトップ取るようなレベルのヤリサーのヤリチンと自他ともに評価されてる奴らも、酒で酔わせて性暴行みたいな手口を多用して当然捕まってるわけじゃん、
一流上場企業や総合商社マンクラスの花形エリートでも、酒で酔わせて性暴行とか、未成年に金払って警察にとっ捕まってるわけじゃん
それほどのスペックなら、本当にとっかえひっかえできるほどモテるのであれば、そんなことする必要あるか?って思うんだよな
身近で遊んでてモテてるっていう人たちを見てもそう、どんだけチャラそうで頑張ってても、やっぱり付き合ってるのは一人、かけてもぎりぎり二股(しかも大体バレてしまって1年と維持できない)
今まで付き合った人数も、聞けば多くて4人か5人で、大半は1~3人くらいだった。
こういうの見て思ったけどさ、意外とモテてる人間だって、そんな想像したりネットで言われるほどメダカやカエル並みに不特定多数の何十人も女を食ってるみたいなやつ、絶対架空や空想の産物だと思うから、そんな気に病む必要なく、気負うことなくじっくりいい人を見つける恋愛すればいいと思うんだよな、男も女も
虚無、再び、だ。
女の子からのLINEも来なくて、日曜に遊ぶ予定があった人も合わなさそうだからブロックして、
これから何をして生きていけばいいのか。
どういう気分で生きていけばいいんだろう。
なんというか、このくらい幸福度低い状態なれば、そりゃ有名人への誹謗中傷でうさを晴らすって選択を取る人も出てくるわ。
俺はやらないけど。
そんなに生きる価値ねぇよ。
クソじゃない生き方なんかあるのか。