七転び八起菌
「生きていればいいことあるよ」と言っておきながら、生きていていいことが無ければ「期待しない方がいいよ」と言ってしまう人間は何がいいたいのだろうか。その場しのぎで優しさを演出しているのだろうな。
今、プログラミング界隈ではmaster/slaveやblacklist/whitelistのような、ある文化的背景を持つ人にとっては差別的表現になりうるモノの表現を変えようという動きになっている。代案としては色々あり、例えばmaster/slaveはprimary/secondary、blacklistはblocklistというふうに変更しようという案が出ている。
正直言葉狩りや言葉遊びの域を出ないという心情が大きいのだが、ナチュラルに差別に怯える人々や、ナチュラルに無自覚に差別をしてしまっている我々の意識は変えないといけないというのも理解できるので、プログラミングがBLMに関係ないと言い切る勇気は俺にはない。
というわけで本題なのだが、「〇〇という言葉/作法は、××という意味に捉えられますので、〇〇は不適切です」という理屈と軟膏は何にでもくっつくことを実践し生業としていると言えばマナー講師であるのだが、これがプログラミング界隈に進出してくる気がする。近い将来、ソースコードに意図せずうっかり差別的表現を使ってしまい訴訟されるリスクをヘッジするために、プロのマナー講師による講習、ソースコード監修が必要になるかも知れん。俺は悔しいぜ。マナー講師が俺の書いたプログラムにダメ出しして、プルリクにmanner_ violationとタグがつけられてマージ拒否される未来を想像したらよ。それをされるくらいならIPAの高度技術者試験に「プログラミングマナー技術者試験」なるものが追加して欲しいのだが。俺は死ぬ気で取るぜ。マナー講師に命令されるくらいなら、俺がマナー講師になるって言ってんだ。
女は「わたし小さい頃性的虐待されてさー」みたいな雑談でもするの?
すくなくとも男はしないよ
男と女で峻別してるのが的はずれだし、ドールがどうこうとか内心の自由とかいってるのも的を外してる
現実をみろ
財布を失くした。
家の中は探し尽くしたが、ない。事が起きたのは外出先か。
「こちらには届いていませんね」
「こちらには届いていませんね」
「こちらには届いていませんね」
「わかりました。ありがとうございます。お手数おかけしてすみません」
どの店員さんも親切に答えてくれたが、仕事中なのに仕事を増やして申し訳ない。
自分が、財布と鞄を紐で繋ぐべき人種であるとはっきり自覚した。
家に帰ってから探そうとするが、もう探すべきところは捜索を終えているのだ。
万一の場合におけるカード類の再発行の手間を想像して現実逃避をしたくなる。
それでも、「家の中で財布を失くす」という初歩的なミスであると願って、探す努力をせねばならない。
結果的に、財布は家の中にあった。
なんでこんなところに。
めちゃくちゃ喜んだ後、ここ数時間の自分が励んだ「財布の捜索」は、
自分の体力と他人の時間を消費しただけでなんの生産性がない行為だと気付く。
強いて言えば、今後物を失くした時に捜索する場所として今回の財布発見地点を追加するぐらい。
徒労だった。
俺も二次元の漫画とかその辺では子供を対象にしたエロを嗜むし、
場合によっては行き交う子供を性的な目で見ちまう事もあるんだが、
だからって「内心なら子供を性的な目で見るのは自由だろ」というのは違うだろ?と正直思っている。
いやもちろん、本物のペドフィリアで子供にしか性欲がわかないって人を排斥しろとか言う気はないんだが、
はてなで吹き上がってる奴の大半、8割9割は俺と同じ様に性的趣向の一部として子供も好きですよ、ってだけじゃん。
子供を見ただけで興奮するってタイプとは違うし、性欲のコントロールも簡単に出来る。性的な考えが過っても目を背けられるだろ?
「子供を性的な目で見るべきではない」という社会通念には俺は賛同してるし、そういう目で見る人間を子供から遠ざける親は自然な事だと思う。
厳密な意味での「内心の自由」ってのは否定しないし否定なんて不可能だが、公に肯定するもんでもないだろと思う当事者は俺だけなの?
元エントリーの人がどこまで理解しているか不明だけど、自分が初心者だったときこういう説明がほしかったという話をしてみる。
暗号方式、特に公開鍵暗号の理解が難しいのはいくつか理由がある。
②素朴な利用例が少なく応用的な利用がいくつもある
また、ざっくりした概念以上のものをきちんと理解しようと思うと
④何がどのくらい安全で何がどのくらい危険かセキュリティ的な概念の説明
ここでは自分的にこういう順番で概念を把握していったという流れを書いてみる。
まず、物理的な錠前や書留郵便をイメージするのはあきらめてほしい。
あくまでもデジタルデータを別のデジタルデータに変換して再び元に戻すためのものだ。
公開鍵暗号登場以前は、パスワードを使って変換(暗号化)して、同じパスワードを使って元に戻す(復号化)という共通鍵暗号の時代が長く続いた。
それが暗号化のパスワードと復号化のパスワードで異なるものを使うという技術だ。
・特殊な数学的アルゴリズムでパスワード1から、それと対になるパスワード2を生成する
・パスワード1で暗号化したものがパスワード2で復号できるだけでなく、その逆つまりパスワード2で暗号化したものがパスワード1で復号できる(※)
今はその数学的アルゴリズムまで理解する必要はない。ただそういうことが可能になったというだけでいい。
パスワード1(秘密鍵)を自分以外が見られないように保管して、パスワード2(公開鍵)を通信相手に渡せば暗号通信ができそうということは理解できると思う。
ちなみにこのパスワードの長さは、プログラムで生成した100桁以上の数字が使われることが多く、それを定型的な千文字程度のテキストにして使われるのが一般的。
ツールで生成すると千文字程度のテキストファイルが秘密鍵用と公開鍵用の2個できる。
これだけの桁数なので暗号化復号化の計算はそれなりに時間がかかる。(※)
(※) このあたりは一般的な公開鍵暗号というよりRSA公開鍵暗号特有の話も混ざってます。詳しくは専門書参照
次にこの発明を使ったらどういうことができるだろうか、応用できる先を考えてみよう。
誰でも最初に思いつく例だけどシンプルすぎて共通鍵と変わらなくありがたみがない。
(b)僕にメッセージを送るときは僕の公開鍵で暗号化してね(いわゆる公開鍵暗号)
メッセージの送信先を間違って別人に送ってしまっても他人は読めないし、経路のどこかで盗み見や内容の一部を改竄されたりすることがない。
メッセージに返信するときは今度は「僕」ではなく相手の公開鍵を使って暗号化する。
(c)本文を毎回全部暗号化すると時間がかかるから共通鍵を君の公開鍵で暗号化したものを送るね。それを君の秘密鍵で復号したら以降は高速な共通鍵暗号で通信しよう(鍵交換)
共通鍵暗号の高速性というメリットを利用できて、かつ生の共通鍵がネットに流れるリスクを排除した良いとこ取りの方式。
(d)暗号化しない本文と、本文から計算したハッシュ値を秘密鍵で暗号化したものを送るね。公開鍵で復号化したハッシュ値がそっちで計算したハッシュ値と同じなら本文は改竄されてないよ。
それからこの暗号化は僕しかできないから確かに僕から送られた文書、僕から送られた内容であると保証できるよ。(電子署名)
この「電子署名」の実現により、さらに次のような応用が可能になる。
(e)ログイン時に毎回パスワードを打つと見られたりして危険だからユーザ名等に署名したものを送るね。公開鍵で復号(検証)OKならログインさせて(公開鍵認証)
(f)僕は信頼できるよ。これがAさんの署名入りのお墨付き。検証してみて。
Aさんは信頼できるよ。これがBさんの署名入りのお墨付き。検証してみて。
Bさんは信頼できるよ。これが世界一信頼できる人の署名入りのお墨付き。検証してみて。
(サーバ証明書)
前項のようなやりとりはほとんどアプリが自動的にやってくれるので、コンピュータ技術者以外の人が公開鍵や秘密鍵を直接扱う機会は現状ほとんどないと思う。
ウェブブラウザのアドレス欄に鍵マークが表示されていたらそれは鍵交換やサーバ証明書技術が使われていて、鍵マークを右クリックすると証明書を表示できる。
メールアプリでも最近は自動的に鍵交換やサーバ証明書が使われている。
もしメールアプリにPGPの設定オプションがあればそこで公開鍵と秘密鍵を設定すると特定の相手と本格的な暗号化メールがやり取り可能になる。
サーバ操作するコンピュータ技術者だと公開鍵認証もよく使われていて、ツールで生成した公開鍵をサーバに登録してログインに利用してる。
それはもうちょっと寝たほうがいい
太いって言っても親も東京生まれで都内に戸建ての実家または本家があって親戚みなそれなりの大卒で親戚に政治家とか大企業社長とかいたりする程度でも十分太い。
GAFA行くよりもNTT、NEC、富士通の方がよほど親戚受けがいい。
お公家さんといわれたりするだろ。
深センになんか勝てるわけない。
困っている人、必要な人を選別する条件をつければつけるほど、
3年前まではそうだったと思う。
普通の仕事ならむしろメモを取れって言うくらいじゃないですか。
仕事を身につけるためにメモ取ったりレジュメ作ったりして覚えてきたのに。
雑談の時に机からメモ帳引っ張り出してくる人間なんかと雑談しないのはわかるんだけれども。
でも、上司の家族関係とか、同僚の趣味とか、だれだかよく知らない他部署や取引先の人間関係とかうわさ話とか、ぱっと一回話題に登っただけで覚えられない。
みんな誰もメモなんか取らずに覚えている。
人の顔と名前だって、写真撮らせてほしい。そんなことできないから、半年くらいかけないと覚えられない。
正直、根源的な所で生きるのに向いていない、と言わざるを得ない気がする。
顔が見えてると生々しくて人生が透けて見えてしまうのがキツイけどVの皮を被っていると暗黙的に「これはロールプレイです」ってことが伝わるから、安心というか、「鈍感になれる」わけよ。
Vになってようやく受け入れられる人は繊細で心優しい人なんだよ。
つまりその人にとってはVになってようやく「これは芸能だ」と思えたというわけ。
もちろん生主やYouTuberを避けるだけで罵ってはいなかった人に限るけど。
テレビ芸能人にとっての公私や人格を分ける防壁となるのは第一に芸名なんだけど、Vの者にとってはそれがアバター(とキャラ名)なんだね。
それに相当するものが生主やYouTuberには存在していないように見えるから、何かやらかしてしまったら危ないんじゃないか、人生終わってしまう不健全なショーなんじゃないかと見ていられないわけ。
結局、味覚って親の影響大きいよな。