「法律家の主人公が荒くれ者のリバティ・バランスを射ち取り、市民から賞賛され上院議員となるが、実際にリバティを射ったのは主人公の恋のライバルだったことを誰も知らない」という話である。
映画は名作だ。
暴力が蔓延る西部において、法律を重んじ非暴力を貫く主人公ランスは、周囲からは「腰抜け」扱いされている。しかし議員になる夢を捨ててまでもリバティに挑む。
そして、自分がリバティを射った(殺した)と思っている間は、議員に推薦されても断るのだ。
片や、恋のライバルである牧場主トムは、銃の名手であり「暴力」側の人間だ。
だが彼は同時に「法による秩序」を望む人間でもあった。トムはランスを影ながら手助けしてリバティを射つ。
しかしランスが「人殺しの自分は議員になれない」と悩んでいると知り、彼にだけ真相を伝え、お前のような人間が政治をやるべきだと告げて背中を押す。トムは恋にも破れていた。
そしてランスは立派な政治家となる。トムはひっそりと死んでいく。
現代日本において、ある政策のプロセスについて質問され、「プロセスなんてどうでもいい」と発言した政治家がいた。
彼の属する政権与党はこれまでも様々な形で政治プロセスを蔑ろにしてきた。公文書改竄、統計の捏造、そして直近の議事録の不作成。
そしてその政治家は、プロセスについて釈明したブログ記事の中で、あろうことかリバティ・バランスを射った男のファンだと意味ありげに言及した。
この映画は、まだ法と秩序の浸透していない世界を舞台しているからこそ通用する神話である。
上記のストーリーと最低限の民主主義を理解していれば、その記事で名前を出すには最悪の作品だとわかるだろう。