2020-05-09

木曜深夜の例の件について

出発点はアレな発言とはいえ、その発言根底にあるもの断罪されて、じゃあなんでその話が出てきたんだろうみたいな話を

ずっとしてるのってたとえコンビ間の問題矮小化した、としても、俺には反省しか聞こえないんだけど、謝罪降板だ表舞台から

消え失せろだ言ってる方面人達批判ってどこからきてるんだろう。

少なくとも当事者ではないように見える人々が、あたか自分たちは正当な代弁者です、みたいな顔をして、当事者が望んでいるか

望んでいないかはよくわからない、代弁者自身の望みを「謝罪」や「反省」に組み込ませようとする姿は「ゆすり」「たかり」の類に見えて

ドン引きしている。

謝罪を受けるべき人々っていうのがそもそも誰かよくわからないし、この件に接して不快になった人々のその理由も各々様々な感じ方が

あるからそれぞれに対して必要十分な謝罪というのは現実的ではないと感じる。

から反省」を公開説教根本を糾すことで示すのは一つのやり方だと思うし、根本を糾すこと自体相方が「どうかしている」と思うことを

掘り下げる形で進めていくというアプローチを用いたのもよかったと思う。

浮き彫りにされた「どうかしてる」立ち振舞いが詳らかになっていく上で、ヘビーリスナー野次馬も、さらなる断罪に繋げようとしている人々も

内包される問題をそれぞれの感じ方や揚げ足のとり方として受け止めたはずだ。

特定相手がいない、人としてどうかしてる発言に対する真摯謝罪や、反省をする機会があるのならば、どうしてその発言をしてしまたか

というところに立ち返るのは割と自然な流れだと思う。

炎上した事によって貼り付けられた「人としてどうかしてる」というレッテルを剥がすためではなく、何が問題だったかゆっくりとでいいか

確実に理解していくためだ。だからゆっくりと様々なことを語っていく中でたどり着いた、「結婚のすすめ」も理解できるものだった。

結婚」することの副産物として、「他者への感謝がない」「社会的責任感の欠如」「逃げ癖」等の機会点の改善につながるのでは?

との提案は、自分自身結婚を契機に自身の変化を感じた経験からくる発言だろうと想像つくし、本気で結婚する決断に至るまでの思考

や行動は相手を慮ることも含め、避けて来たことに正面から取り組むことになるだろう、との考えからだろう。

普段から聖人君主をキメている人たちの中では「コンビ間の話に矮小化した」という批判を見かけたけれど、今回の話で、自分に言われているか

のような思いをして身につまされる思いをしている人がいるのは象徴的な話なのだと思う。

反省してるなら金を出せ」「死ぬまで謝罪しろ」って言ってる弱者の味方勢(は自分罵声さえ鳴り響けば反省しようがしまいが見えないふり

するしどうでもいいと思っていると思うけど)が思っているよりも大きな規模で、今回のことがどれだけのことだったか自分の性根を見直そう

という啓蒙が行われたんじゃないかと感じている。

また、発言した張本人が何が問題かわかってないと評されてるのも尤もな話で、おっしゃるとおり何もわかってないと思う。

これから知るのかもしれないし、一生わからないのかもしれない。こっちもわかってるつもりでわかってないかもしれないし、とにかくわからんのだけど

逆に実はちゃんとわかってたら本当にヤバいやつじゃん、サイコパスじゃんって思ったりはする。

そう考えたら俺はなんか、許せてしまった。サイコパスに騙されてるのかもしれないけど。

怒る人はこれからも怒ればいいし、署名集めて失職させて芸能界から追放したいと思って行動するならそれもありだし、この件を利用して

政治活動やら人権運動やらなんやらすればいい。ただまあ、見てる人は見てるってだけだ。

まあ、最後の「わーわー言うとります」を久しぶりに聞いて泣いた勢なので単なる贔屓の引き倒しなんですけどね。

  • 俺も表舞台から引き下ろそうとしてる奴の大半はヤバい奴らにしか見えんね。Twitterを覗いてみたらフェミニストの皮をかぶってるけど、その実自分の主義に合わないものを排除しようと...

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