2020-04-20

成田陸の孤島となった夜の出来事

去年の9月台風の影響で成田陸の孤島となった出来事を覚えているだろうか。

あの日僕も成田空港に足止めされ、何時間も何時間もいつ乗れるかわからないタクシーの列に一人並んでいた。

人でごった返し、困惑する人々。

そんな成田の様子がSNSにアップされ話題になった。

合唱団が歌を歌って場を和ませたり、その場に居合わせた人々で助け合ったりと成田に閉じ込められた人々は次第に異文化交流モードに移行していった。

しかし、僕はそんな「助け合い」の空気違和感を感じていた。

助け合いの輪」に入れてもらえないことを薄々感じていたからだ。

というのもタクシー待ちをする列に並びながら僕は周囲の人に相乗りをお願いするもことごとく「見捨てられて」いたのだ。

成田空港から僕の自宅までタクシーで帰ろうと思うと2万円を超える。

翌日は平日で仕事もあったこからなんとか家には帰りたかった。

僕の後ろにならんでいた50代と60代くらいのおばちゃん二人に相乗りをお願いしていたが、途中で「身内が迎えに来てくれた」と二人はタクシーの列を離れた。

その車に乗せてくれてもいいのに、と僕は思った。

スマホの充電も切れ、情報は何も入ってこない。飲み物も売り切れ。汗がにじむ真夏の夜だった。

8時間近くタクシーの列に並び、夜の12時を回ろうとしていた。

暑さと疲労不安で最悪な気分だった。

同じようにタクシーの列で僕の前に並んでいた女子大生3人組に相乗りできないかお願いした。

一人は日本人、他の二人はタイ台湾の子だったが3人とも初対面らしかった。

成田で知り合い、3人で協力しあって成田脱出を図ろうとしていた。

結局3人は僕を乗せてはくれなかった。

別れ際にスナック菓子を気まずそうに渡された。

結局僕は帰宅を諦め、成田空港第2ターミナルの床に横になることにした。

掛けるものも、敷くものもなかった。

成田に足止めをくらった人々の間にいっとき流れた「異文化交流モード」「助け合いモード」は僕にとってはなんだか白々しく感じられた。

結局人は無差別に人を助けたりはしないのだ。

助けたい人を助ける。助け合いたい人同士で助け合う。

その中に僕はいない。

なぜなんだろう。

そんな疎外感を感じたのは初めてではない。

なんとなくずっと、薄々感じながら生きてきた。

僕は子供のころから顔や体に白斑がある。

僕が見てくれの良い人間ではないからだろうか。

それとも僕の本質的な部分を見透かし、助けるに値しないと判断されてしまうのだろうか。

あの夜、成田に足止めされた人々の間で共有された感覚とは別の感覚を僕は感じ取っていた。

なぜ僕はいつも周囲と同じ感覚を共有できないのだろうか。

なぜ「まとも」に溶け込むことができないのだろうか。

僕にはまともというものがもうわからないのだ。

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