一斉休校の「是か非か」なんて本当にどうでもいいことだ。
彼らはいったい何になるつもりなんだろうか?
政治家になるとか政治家を支援するためにその身を捧げようとか考えているんだろうか。それならそれでいい。大切なものをすべて暖炉にくべて焼き尽くしてしまえばいい。
でも、それが本当にしたいことなのか?
誰も彼もがそれぞれの立場や考え方で好きなことを言うよ。でもだからどうしたって話だ。外野がなにを熱く語ろうが、政治が正されようが歪もうが、それが自分の大切なものに「今すぐどれだけ」関わるんだよ。
『コロナウイルスはそれほど危険ではない、生活が不安定になるだけだ』
コロナウイルスが安全だという証拠があるなら出してもらおう。遠い未来までとは言わない、近い将来に突然変異して恐ろしい病気に変わらない保証を出してもらおう。それで世界を説得してみせればいい。民衆の不安を取り除いてみせればいい。
仮に安全を保証する正しい情報があったとして、それが正しいとバカでも納得できるように周知するにはずいぶんと時間がかかる。
人は情報の正しさで動くんじゃない。
自分が信じてることで動くんだ。
集団感染が多発すれば社会の不安は増大するだろう。じゃあ電車通勤を禁止する? 経済が機能しなくなったらいずれ食料の供給までおかしくなるぞ。みんなつながってんだ。みんな社会に依存してんだ。
依存してないところを停止したって影響は小さい範囲だろう。大きな影響があったってケアできないわけじゃない。そういう意味では一斉休校には一理ある。
…そんなもん知るか。研究がしたいなら好きにやっててくれよ。
自分にとっての問題は、自分にとって大切なものにどんな影響があるかだけだ。誰にとってもそうじゃないの? 研究のために生きてねえんだ。正しさ勝負のために生きてんじゃねえんだよ。
一斉休校で影響を受けるのは学校に関係している人だろう。教師も生徒もその親も事務員も取引企業も影響を受ける。困るという人がいるのは当然で、大切なものに影響するんだからそりゃ困るだろうよ。
でも、どういう風に影響するんだね。
そして、反対!反対!言ってればその影響はなくなるのかね。
一斉休校するにしろしないにしろ、集団感染が広がれば不安になった人が押し寄せて病院が機能しなくなる。普通の病気でも病院が機能しないんだ。
それに風邪引いて弱っているときにコロナにも感染したらどうなっちゃうんだ?
別の病気で弱ってても「コロナの症状は軽いから平気」って言えるのかね?
家族の具合が悪くなったら誰が看病するんだ?
体力持つの?
買い物行けるの?
誰か頼れるの?
平時ならそれぞれのご家庭の話で、患者が集団で押し寄せることはないだろう。しかし今は違う。その可能性がある。コロナウイルスだけが問題なんじゃない、平時じゃなくなっていくことが問題なんだ。社会が機能しなくなることが問題なんだ。
一斉休校で休みになった子供らがあっちこっちに出歩いて拡散しまくるかもしれない。それはわからない。満員電車が拡散するのかもしれない。どこかの企業が集団感染するかもしれない。全部わからない。
大丈夫なんて何を見て言ってんだ?
バカの予想を当てにして、当てがはずれたらバカを見るのは自分だ。
誰であれ、今一番考えなきゃいけないことは「置かれた状況下でどうやって大切なものを守るか」であって、一斉休校が是か非かなんかどうだっていい話だ。そんなのは終息して安心できてから好きなだけやればいいんだ。
自分だけ助かろうとする人ばかりになって社会がどんどん普通じゃなくなったら、社会に依存して生きている自分だって結局助からない。そっちの方がずっと間近に迫った問題だろう。
政治が気に入らないとか誰それがバカだとか今はどうでもいいだろ。そんなもん見てるひまあったら自分と自分の大切なものを大切にしろよ。隣にいる知らない人のことも思いやれよ。その知らない人は未来の自分だよ。社会ってそういうもんだよ。