2020-02-20

あれは過度に性的な《表現》なのか?

日赤の宇崎ちゃんポスターや、JAラブライブ!ポスター

「過度に性的」なため批判されているということになっていますが、

ほんとに「過度に性的」がポイントなのかな?


アレを見て不愉快に感じる人の「不愉快がどこからやって来るのか?」

というと、ああいスタイルポスターが、なんとく、特に深い意味もなく、

制作され、採用され、流通してしまう現状にたいする苛立ちや絶望

源泉になってるんじゃないですか?

「令和にもなって、水着グラビアカレンダーを、なんとなく、無邪気に、

貼ってしまう《昭和サラリーマン》みたいなことをまだやってるのか…

しか公共性い組織の公式が…」というウンザリ感。


ここで大事なのは、実は《なんとなく》だと思うんです。


まり、「水着グラビアとは、大衆消費社会という枠組みにおいて、

女性肉体美を誰でもわかる形で謳い上げるための重要メディアである

という思想なり価値観なりを《表現》するために公共空間である職場に貼った、

というのなら、賛否はともかく《表現の自由》を確保する必要があるでしょう。

必要なら反論すればいいだけ)


ところが実際には、JAみかんポスターについてたびたび指摘されたように、

描き手は、なんとなく、何も意図もなく、手癖で、余計な線や陰を描き、

(あの手の絵柄の常連ターゲットである受け手も目が慣れてしまって

感覚になっているだけ。

(そして JA広告代理店担当者存在しないも同然)


批判する側は、「なんとなく職場水着グラビアを貼れる世界」を掘っていくと、

男女雇用機会均等法セクハラという言葉もなかった時代

まり男性優位が確固としていた時代」という遺跡が出てくることを

直感的に気付いて反応(あるいは結果的に《表現》されてしまたことを批判

してることにのにたいして、

擁護する側は《表現未満》のものを、あたか自分にとって大切な《表現》が

弾圧を受けたかのように吹き上がってる。


思えば、過去の『碧志摩メグ』の件も、『駅乃みちか』の件も、

みんなこのパターンだった気がする。


批判する側も、自分違和感を深掘りせずに「性的から問題だ」

と早合点する人が実際に存在するからややこしいのですが、オタクの皆さんも、

自分が「目の肥えたオーディエンス」「うるさ型のお客さん」だと思うなら、

自分の好きなコンテンツを(好きだからこそ)突き放して眺めてみるような

視点を持ってみてもいいじゃないですかね?


エンターテインメントの質は、結局のところ《お客さんの質》に依存するので、

「手癖でなんとなく描いてんじゃねーよ」

オタク文脈を共有しない人にはこう見えるぞ。わかってやってるんだろうな?」

という面倒なお客さんが増えると、日本アニメゲームレベルも上がると思いますよ。


クールジャパン』なんて言われるようになってから増えてきた

ちょっとアニメが好きなだけの自称オタク」には歯ごたえが有り過ぎる

くらいの作品じゃないと満足できないでしょ?

  • 愚かな人たちがオタク全体への攻撃へ転嫁し始めるから、 ラブライブが好きではなくとも擁護せざるを得ない、という程度の話ですかね。

  • Pixivやなろうのコメント欄に「うるさがたの面倒な客」として乗り込んでいけばいいぞ。あっというまに廃れるから。

  • まあオタクが反発しているのも「いまどき男を女に置き換えた程度の浅いポリコレ広告で喜んでるなんて何周遅れだよ」みたいな理由だしな。

  • 一瞬同意しそうになったが。 オタクアニメを研ぎ澄ましたら魅力もなくなるだろう。 ゆるくてスカスカな内容のものをだらしなく消費することの良さもある

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