2020-01-22

提出したレポート大学体育)

(せっかく書いたので。)

授業では、特に対戦を行っている時に、技量差について考えることが多かった。技量差のある二人の対戦では、ワンサイドゲームになるか、一方が一方のレベルに合わせて、例えばスマッシュをしないなどのハンデを設けて試合することになる。では、そのような場合はどうすることがスポーツマンシップに則った行動といえるのか。また、そもそも技量差がある対戦は防がれるべきなのか。

 そもそもスポーツマンシップとは、”スポーツを起点とした相手に対する思いやり、ないしは一個人として正しい行い全ての総称である。” (Wikipediaから引用)。相手への思いやりであるならば、ワンサイドゲーム圧勝しないでハンデを設けて試合する方が、思いやりのある行動といえそうであるしかしながら、それではハンデを設ける方に毎回負担スポーツ自体を楽しむことを妨げている)を負わせることになり、平等とはいえない。だからといって、お互いの力量差を調節することは、より優れているほうしかできないことである。つまりスポーツマンシップに則る限り、それ以外ない選択肢に思える。

 しかし、そもそもそういう状況を生む行動自体スポーツマンシップに則っていないと考えることもできる。どちらか一方だけが負担を負うような試合を組むこと自体が良くないということである。例えば、授業で行われたランク分け(トランプカードを使った自己評価でのランク分け)はそうしたスポーツマンシップが実現しない不幸な試合を避けるために有用であった。しかし、そのランク分けは自己評価に依ったことで、爪を隠す態度を取る生徒を正しくランク分けしなかったので十分に機能せず、不幸な試合が行われた。その結果を考えると、日本人美徳観点からは良しとされる行いでも、あの場で爪を隠す態度はスポーツマンシップからいって悪とされる行動である

 以上から結論では、力量差があるような試合が組まれる時点で問題が生まれているということであった。しかし実際のスポーツ文化を考える上ではあまり意味がない。なぜなら、上で述べていたようなことはスポーツ自体を楽しむことを目的とした上での話であり、特にコミュニケーション目的とするようなスポーツ活動が多くを占めると考えられるスポーツ文化を考える上では、力量差で相手制限するようでは、主目的であるコミュニケーション不都合が生じる。その場合はハンデを背負って戦っても楽しいようにする必要または、力量差がないようなスポーツ環境選択する必要があるだろう。

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