2020-01-14

なんでもない話

※下書きに残っていたものを発掘したので、当時の文章のまま掲載することとする。時系列12月末頃の話だ。


至極なんでもない話だが、母が死んだ。母は56歳で、言うなれば若いうちに死んでしまったというやつだった。病死だった。

私はちょうど卒論提出を間近にしている、なんでもない大学生なわけなのだが、

こうして近親者の死を目の当たりにしてしまうと、どうしようもなく泣けてしまって、逆に言えば、当たり前のように泣けてよかったと思ったりもした。

母親は私に優しかった。父親と妹と喋っていて思ったのは、妹と父親への態度は同じなのに、なるほど母親は私に対しては妹と父親に比べて違う態度をとっていたらしかった。

母親は私の話をよく聞いてくれた。私がなにもいわなかったからだとは思うが、私が自分の話をしたときはどんだけつまらない話でも聞いてくれた気がする。

最後母親と会話をしたとき、本当にどうでもいいことを喋っていた。150円ポテトLサイズを食べたとか、ザワを観に行ったとか、もう、今思い返しても本当にどうでもいい話だ。

最後LINEだって、私がその日ライブに足を運んでいることを伝えると、ライブ楽しんでね―!と自分の体調がそんなによくないのに明るいLINEを送ってくれて、自分はなにしてんのかなあと思ったりもしなくもない。

ライブなんてほっぽりなげて帰ってもよかったのかもしれない。だけどその時にした選択を後悔したくないし、その時の選択否定して自分肯定できないのはもっと嫌だった。

その時のLINEメッセージを思い出すと今でも泣けてしまう。自分に自信がないから、オタクとしての自分肯定してくれる母親は私の救いだった。

でも、こうした話は多分、本当に何でもない話なのだ

その何でもないっていうのは、私にとっては物凄く大きな出来事であっても、周りを見渡せばそんな人どこにでもいて、もっと言ってしまえば私なんかよりも悲しい思いをしている人がいるってことだった。

私の母親の死なんてちっぽけなことなんだとどこかで認識してしまって、少しだけ冷めた気持ちになる。こんな時くらい世界で一番自分が不幸で、一番悲しんでいると思いたかった。だけど、そういうわけにもいかない。

今思えば母親と22年間しか一緒に生きられなかったし、なんならうち4年間は私は母親と一緒には暮らしていなかった。そう思うとたったの18年間しか母親と一緒に過ごしていない。物凄く短い時間だ。今になって思ったところで、どうしようもないのだが。

成人式前撮りの日、「親に何も返せてない」と言いながら泣いた私に母は「これから返していけばいい」と言っていた。それも叶わなくなってしまった。

私にできることと言えば、きちんとこれから仕事をして、健やかに生きることくらいだ。だけどそれで母が安心するなら、まあそれでもいいか、と思う。

そういえば実家で、母が買っていたハイキューの40巻を見つけた。41巻が出たら、線香と一緒に供えようと思う。そしてその後に私が読む。いつも通りだ。

きっと多分、母もいつも通りの方がいいだろうと勝手に思っていたい。そんな感じだ。さて、卒論をやらなければ。

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