2019-12-03

講談社ラノベ文庫新人賞TSラノベは「百合詐欺」か?ネタバレ検証

先日、『101メートル離れた恋』というラノベが発売された。公式のあらすじはこう。

http://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000323507

男子高校生浅田ユヅキがある日目覚めると、女の子人形の姿になっていた! 

人形の名はセブンス

一流の魔法使いであり人形である朝霧キョウコが作り出した、世界最高クラススペックもつレンタルサービス型の美少女オートマタである……らしい。

その役割は、依頼者との会話、家事、警備、さらに性行為にまで及ぶ。

セブンスになってしまったユヅキは、さまざまな男性の性処理のためにレンタルされ、心をすり減らす日々を過ごす。

やがて一ヵ月以上が過ぎ、精神的に限界を迎えつつあったときセブンス女性の依頼者である高校生少女イチコ出会う。

そして、二人は次第に惹かれ合い……!? 

帯のコピー「ここが百合SF最前線!」

発売予告に伴いこのあらすじとコピーが公開された時点で、“百合好き”の間からは強いバッシングの声が上がった。いわく、

TS百合は違う!一緒にするな!」

TS(F)とは、性転換もの特に超自然的な原因での性別変更シチュエーションを指す。そして、元が男のTS主人公は、身体が女でも中身は結局のところ男のまま。精神性を重視する(と一般的に言われる)百合というジャンル基準で見れば、♂→♀TS主人公ヒロインとの恋愛などは単なる“ヘテロ”でしかない。こんなものを「百合」として世に出すなんてふざけるなよ講談社ラノベ文庫……というのが主旨のようだ。

その百合判定基準普遍的に正しいかはともかく、上のあらすじを見ればTSに当てはまっていること自体はたしかなように思える。実際に作品が発売されてからも、百合好きのTS百合じゃない!」合唱は続いているようだ。

この批判は、果たしてどれだけ妥当なのだろうか。実際の作品内容と照らし合わせて、軽く検証してみよう。

当然、直球のネタバレがあるので注意。



あらすじでは分かりにくいが、主人公浅田ユヅキは、単に男子高校生人格女性型のオートマタに突然憑依してしまったというだけでなく、同時に、我々の知るいわゆる「現実世界から魔法自動人形存在する(それ以外は現実とさほど変わらないし舞台北海道世界への移動も伴っている。つまり、この作品は「異世界転移・転生」の一種でもあるわけだ。

というのが表向きの設定だが、実際のところは。

主人公が元々いた世界だと思っていたものは、実は自動人形セブンスクラウド的なものの上に作り出した仮想現実

・「浅田ユヅキ」もセブンス想像が生んだ人格

セブンスは起動した直後に、自我に目覚め、既にロボット三原則的なもの自力で解除していた。

物語開始時の技術発表会の場で、「浅田ユヅキ」と「セブンス」の人格が、「セブンス自身意思により入れ替わった(「私自身がこれ以上、現実世界で生きたくなくて。」)

とりあえず今回の問題関係ある部分に関係しそうな設定を一通り並べてみたが、はー、スッキリした。ネタバレって楽しいな。不用意なネタバレを垂れ流すアカウントがいるのも分かるわ(自分ネタバレ食らったら絶対さないけど)

さて、これを踏まえた上で、『101メートル離れた恋』に「TSから百合じゃない」を適用することは可能だろうか。

まず、「浅田ユヅキ」は単純に「男性」と言えるのか。本編の前半、特にオートマタとしての仕事に就く前の素の状態を見ると、たしか一人称は「俺」だし、男性器に愛着も持っているし、女体への欲望もはっきりある

極めつけに、両胸に膨らみがあって、健やかなるときも病めるときも十七年間ともに過ごしてきた俺の股間にあるべき分身の膨らみは、いっさい感じられなかった。

ちょっと待て。いま俺はこの美少女なわけだから、この美少女自由にしてもいいということか。

(略)

自分のいる世界が夢か現か。そのような壮大な悩みも、思春期男子の性欲の前には泡沫のごとく消える。

だが、このような一見普通男子高校生のものと言ってもいい「浅田ユヅキ」も、女性(的な人格であるセブンスから完全に独立した存在というよりは、「セブンス」の一部、分身として解釈できそうなフシがある。仮想世界で、自身製作である朝霧キョウコと対面した「セブンス」は、現実で「浅田ユヅキ」が経験した神尾イチコとの関係を、自分のことのように語っている。

「えへへ。でも、やっぱり入れ替わってよかったです。多分、浅田ユヅキじゃなかったら、自分が本当は人間なんだって思い込んでなかったら、イチコあんなに仲良くなれなかったと思います

イチコに、会いたい、です。最後に、しまから。それさえ、叶うなら、もう一度だけでも、イチコに、会えるなら、もう、夢をみれなくても、私が、消え、ても、構いません、から

たとえ情報継承があったとしても、「浅田ユヅキ」が自分とは完全に別個の存在であれば、このような言い回しにはならないのではないか現実仮想が逆だが、飛浩隆廃園天使シリーズの、仮想空間上のリゾート地自分データ的な分身を送り込み、そこでの出来事を後で自分自身のものとして追体験する仕組みに近い関係、かも???

更に、一度破壊された後に再び「浅田ユヅキ」として目覚めたセブンスは、仮想世界内でのキョウコとの会話を記憶しており、本当は自分別世界人間ではなく最初からオートマタだったことにも自覚がある。明言はされていないが、ここでは既に「浅田ユヅキ」と「セブンス」の人格統合されているように見える。仮に当初の「浅田ユヅキ」自体男性人格であっても、少なくとも終盤における主人公純粋男性と呼ぶのは難しいのではないだろうか。

(「浅田ユヅキになるために、ほとんどの知識を捨ててしまいました。」というセリフもあったり、この辺「浅田ユヅキ」と「セブンス」が別人格なのか実質的に同一なのか、最後まで読んでも設定がはっきりせず、曖昧雰囲気ごまかしてるような感触もあるので微妙なところだが……)

あるいは、「浅田ユヅキ」の背後にある主人格の「セブンス」は女性(的な人格)だと言うがそもそもアンドロイド(的な存在)には本来性別」などというものは無い、といった根本的な反論もあるかもしれない。

それは確かにある程度筋が通った意見だが、その伝でいけば「浅田ユヅキ」にしても男性ではないわけで、つまり本作は「百合」でもないが「TS」でもない、という結論になってしまう。だいたい、アンドロイドAIその他人工物を「女」と認めず、それらと人間女性との関係全面的に「百合ではない」と断言したりすれば、この作品に留まらず相当な範囲まで延焼することは明らかだ。百合の園を焼け野原にしてでも厳密な基準を徹底する覚悟はある?

このように『101メートル』は、百合かどうかは議論余地があるしTS要素が皆無なわけではないが、だからといって「TSから百合ではない」と簡単に切って捨てられる内容でもない。そこは理解してもらえただろうか。

念のため言っておくと、こんな文章を書いているもの自分別にこの作品を、何の欠点もない完璧な傑作だと評価しているわけではない。

自分自身仮想世界内に退避すること自体はともかく、代わりに表面化させる人格として敢えて男性である浅田ユヅキ」を選ぶ必然性が、設定的にも物語の都合的にもやや薄くないか?とか(セブンス本人は「浅田ユヅキが現実世界を生きたらどうなるのかなって気になったんです」と軽く説明しているが、ここで言う現実とは自動人形にとって「さまざまな男性の性処理」に他ならないわけで、これは皮肉・悪意の一種なのだろうか?)、

いくら魔法産物とはいえセブンスシンギュラリティ的〜「強いAI」的〜な状態に至った(本編の大半は主人公一人称記述されているので見せかけだけではなく自意識存在するのは間違いない)理由が、単にものすごくハイスペックだったからというのは、「百合SF最前線」を名乗っておいて、ちょっと……とか(これは作品のせいではないが)、

記憶を完全に失い人格リセットされたと思われた人造女性なんやかんやで「マスター」との関係を取り戻すって、これ、ファイブスター物語(4巻のアウクソー)なのでは???オープニングも実質「お披露目」だし。講談社ラノベ文庫あなたは…あなたラノベに何を託されておられるの!講談社!!(※ここは真に受けないでください)

などなど、言いたいことはいくらでもある。

それはそれとして、読まずに叩いている層はもちろん、実際に読んだ上でなお「TS百合じゃない」と単純に言い切っている百合きもいるのを見ていると、その姿勢はいかがなものか、と少しだけ悲しい気持ちになってしまうのだった。ゆりピーかなピー(T_T)ゆりピー語。流行らせたい)

記事への反応(ブックマークコメント)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん