今でも忘れられないは、テストのときだ。たしか2時間ぐらいのテスト時間にもかかわらず、まったく何もわからず、ただただ答案用紙にトーラス(ドーナツ形)の絵を描いて時間が過ぎるのを待った。早々に答案を(白紙のまま)提出して退出する勇気はなかった。あれほどの退屈な時間と、あれほどの屈辱の時間は、他に経験がない。
にもかかわらず、何も理解できないまま、夜な夜な英語の文面を呆然と見つめていたものだった。可換環論が当然の前提知識となっており、それを理解しようとすると、その前提にはもっと初歩の代数系や集合論が利用されており、それを紐解こうとすると、「無限後退」に陥るような気持ちになって、目眩がした。
という悲観が心に渦巻いた。このようにして、ぼくは、数学科の落ちこぼれになった。
当時のぼくがいけなかったのは、「数学を、目の前にある本や、講義のノートの、そのままの字面から理解しようとする」ことから一歩も外に出ようとしなかったことだった。ぼくは、「数学を理解する」という行為を限定的に閉じ込めてしまい、もっと広い外界にアクセスしなかったことが災いしたと気付くことになった。数学を(いや、どんな学問でもそれを)理解する、という行為は、人生を総動員して行うべきものであり、そうしさえすれば、(それへの愛と欲求がある限り)理解は不可能なことでもそんなに難しいことでもない、ということだとわかったのだ。
ものとなった。例えば、数学的なアイテムを理解しようとするとき、専門書に書いてあることをそのまま受け入れようとする努力を捨てるようになった。それが抽象的すぎて、とても自分の感覚ではついていけないと感じたときは、そこに書いてあることを自分によくわかる別の言葉や記号に置き換えていく作業をすることにした。