2019-11-18

もう完全にダメな何か

もう完全にダメな何か…になりつつある人たちのブクマ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/morningmanga/status/1195223667275231233


私は多くの人のように、「フィクションに食いつくな」とは言わない。メジャー作品であればあるほど、誰もが気付いていない視点から問題を指摘することには大きな意味がある。「登場人物思想現実は別だ」とも言わない。フィクション登場人物思想現実に大きな影響を与える場合は充分考えられるし、作家もしばしばそれを望んで作品をつくる。たとえば、キャプテン翼世界中サッカー小僧を作ったように。そして、フェミニズム意味が無いとは言わない。声なき弱きものの剣として、それは数多くの偉業をなしてきた。


だが、最初ブクマの中でゾーニングゾーニング叫んでる人々には一切同調しない。誰でも思いつきそうな、殴り返してこなさそうな安易な一件に噛みついて騒ぐだけで、何の目新しい視点もない、追及する意義の極めて低い、単なる弱い者イジメだ。こんなツッコミ無益どころか有害しかない。「表現の自由」というもののありがたみ、「表現規制する」ということの重みを余りにも軽く考えている。

先日来の、自分の望むような内容のフィクションを作れとか(自分で作れ)、自分が望むような内容でない自分向けでもないフィクションの内容にケチを付けるとか(余計なお世話だ)、創作物どころか人間多様性まで認めようとしない。他人成熟しているのしてないのと人の精神の内容を傲慢にも審査した上で、価値の優劣までつけようとする。紛れもなくおぞましい悪魔の発想で、この世で一番権力をもたせたらダメな連中だ。

「さえない中年少女に思いを抱く」というテーマ拒否反応を示す人が一定いるのは理解する。何人か「恋は雨上がりのように」を例に挙げている人がいたが、正直私自身はあの作品にあまり感心していない。ああ高齢読者をヨシヨシする作品だなあと冷めた感情を抱いている。だがだからといって、あの作品に感動する人がいてもそれはそれで当然だとも思うし不健全だと指弾するつもりもおきない。あの作品中年少女恋愛を推進するから規制すべきとも思わない(仮にそれが実証できたとして、の話だが)。

それよりも、このテーマ作品全否定するような人たち全員に言いたいが、あなたたちが殴っているのはたとえばこういう作品だ。

https://blog.goo.ne.jp/fuwafu-wa/e/5e3b2574e5fa6db55d8ddefe128ee492

私は大島弓子を優れた作家だと今も思っているし、この作品彼女短編の中でも構成、語り口等含めてレベルが高いものの一つだと思う。今回の一件を聞いて、私はすぐこの作品のことを思った。そして、多くのブックマーカーがこの作品を含めて全否定するような論調で話をしていることに、大きな危惧を抱いた。

そもそも作品評価するか否かと、自分がそういうことをするか否かとは全く別の問題だ。別の人の人生、物の見方世界の捉え方を知り、考えられるのがフィクションの素晴らしい点なのだから、たとえ主人公殺人鬼であろうが何の問題もない。その作品評価することと殺人評価することとは、全く別のことだ。なるほど、流血シーンやグロテスク表現が多用されるのなら「ゾーニング」は肯定すべきかもしれない(ただそれも、そのようなシーンが明らかに悪影響を及ぼすことが確かなエビデンスによって実証された上での話だ)。だが、そのような規準なしに、表現に対する規制を声高に述べることに、どのような正当性も見出せない。まして、あまりに粗雑な定義によって、あまりに大きなものを殴りつけるとなると、その行為無意味に多くの人間表現を傷付けることになる。

「私は、このような表現が嫌いだ。なぜなら…」それならいくらでも述べればよいだろう。「単なる個人の感想」は「個人の感想」として軽く流されるからこそ、制限もされにくいのだ。だが「規制せよ」というのは明らかに立派な一つの政治的主張だ。この社会で一つの政治的主張をするには、相応の合理性責任一貫性が求められる。合理性もなく責任一貫性もない規制論者と規制論、それはただの差別主義者によるヘイトしかない。ヘイトスピーチは、許すべきではない。

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