2019-11-13

交通事故死ぬこと

私も小学生ときに車に轢かれて全治2ヶ月の怪我をしたけど、足の骨を折っただけで済んだ。

でも、たまたま同じ日に交通事故で同じ病院に担ぎ込まれた隣の小学校の同い年の子はその日のうちに亡くなったらしい。

もちろん、亡くなった彼女と私には何の面識もない。

だけど、あの夜にお母さんが泣きながらあんたが生きててくれて良かった、と言ったのはよく覚えてて、なんで生き残ったのが私の方だったのかな、とその後の人生で事あるごとに脳裏をかすめてた。

意味なんてない、そんなのは分かってる。その後の私もこうして生きてるのはたまたまだ。

かき集めたベゲAをODしたあのとき運が悪かったら、たまたま津波が来る前に引っ越してなかったら、今こうして増田なんかしてなかったかもしれない。

でも、人生は「たまたま」で済ますにはあまり過酷出来事が多すぎるように思えてならない。

人間でなく動物に生まれていれば、動物でなく植物なら、いやいっそはじめからまれてなんかこなければ…?しかし私が人間に、日本に、こうして生まれてきたのも「たまたまなのだ

全ては虚しい。私はやがて死ぬ私たち祖先が全て辿ってきたのと全く同じように。あの日、私と同い年の彼女が幼くして亡くなったのと同じように。

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