2019-11-07

ジョーカージョーカーならジョーカーでないけれどジョーカーでないならジョーカー

映画ジョーカーが絶賛されている。わたし個人には違和感が強すぎた映画だった。ジョーカートーマスウェインが「らしく」なさすぎるから米国内でも絶賛されてるのは社会福祉がそこまで充実してないことによる同調とかだと思ってる。

日本国内では、ジョーカーバットマンイメージほとんどないと言っていいと思う。公開前に「あのピエロ映画見に行かない?ジョーカーかいうやつ」などと会話するカップルを見た。バックグラウンドの共有というのがあまりできていないから、違和感は感じなくて当然だとは思う。

日本作品で例えるなら、キザさのかけらもない怪盗キッドを見てしまった感じ。挙句、僕ちゃん泥棒するのはお金くれない金持ちが悪いのだ!なんて言い出す始末。そんな実写映画見たい人がいるとは思えない。

トーマスウェインの例で考えるなら、実写化ドラえもんスネ夫視点で、出木杉君が差別的発言をしてクラススネ夫派と出木杉派に分かれた、みたいなストーリー違和感すごくない??

ただ、この映画自体にはそもそもからないようになっている部分が多い。ジョーカー(?)であるアーサーの妄想が混ざっていて、虚実混ざり合っているから。いちばん最後に急に場面が変わって、面白いジョークを思いついた、という辺りでそれまで見ていたものが全てジョーク(もしくは計画)である可能性が提示される。なら、アーサーは何者なんだ?

アーサーがジョーカーではないけれど、なんらかの計略を巡らして、バットマン誕生させ結果的ジョーカーを生み出すような存在になる、という可能性もある。もしくはジョークかもしれない。でも、そんなことを思いつくのはとてもジョーカーらしい。

反対に、ジョーカーだ、と考えるとあまりにもジョーカーらしくなさすぎる。

ジョーカージョーカーならジョーカーではないけれどジョーカージョーカーでないならジョーカーだ、という矛盾

いちばんジョーカーらしいのは、こんなジョークのような映画を作った制作側かもしれない。

記事への反応(ブックマークコメント)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん