2019-10-22

解釈」の名のもとに行われる誤読について

って長々能書きたれなくても、このシェイクスピア学者のひとのツイートに尽きるんだけどさ。


https://twitter.com/Cristoforou/status/1083954729388920833


でもインターネットを見てみれば、「『ハムレット』でハムレットはお父さんを殺した」級のチャランポラン解釈があふれている。

なんでだろう。

それはたぶん読解を解釈と、さらには解釈二次創作と取り違えているからだ。


基本的には物語には筋がある。

ハードコア作品だと筋がないものもあるけれど、大衆に向けて発信されるものはだいたいわかりやすプロットへと還元される傾向にある。

プロットは要するにアクション=目に見える事実の積み重ねであって、

普通に読んでいけば誰々が何をしてどうなったか顛末を取り逃すことはない。

たとえば、『ハムレット』を普通に読んでいたら wikipedia の「あらすじ」欄にある以外の展開は読み取れず、間違っても「ローゼンクランツとギルデンスターンハムレットを巡ってコイン投げの賭けをしていた」なんて言い出しはしない。

物語を読めない人というのは私たち想像以上にこの世に溢れていて、このレベルで間違える人もときどきいるけれど、まあ少なくともあなたは間違えない。


で、やっかいなのはプロットの「展開」には「目に見える事実」以上のものも含まれていることだ。

あるキャラセリフがどういう意図で発されたのか、その身振りにはどういう意味が込められているのか(あたりまえだが、それらは作者自身意図からは切り離されている)。

言語によって明確に説明されていない部分。

そこを私たちは奔放に「解釈」しがちだ。

特にふせったーなんかでは、ある一場面を切り取って過剰なまでにそこに説明をつけようとする人たちがいっぱいいる。

そういう人たちの「解釈」は一見もっともなように思われるけど、実はちゃん作品と照らし合わせるとトンチンカンだったりする。

なぜなら彼らの「解釈」は作品内部の文脈無視したものであるからだ。


物語をきちんと読解するのは実はむずかしい作業だ。

からケツまでテキストを精読して、その流れと内部のロジックを過不足なく把握せねばらない。

個別物語内部にあるリソース分析するのが読解であり、それらを用いて家を建てるのが解釈だ。

しかし、ここに狡っ辛い読者がいる。

狡っ辛い読者はあ外部からトラックで建材を積んで物語世界へやってきて、地盤風土関係なくあらかじめ設計されたデザインに基づいて家を建てようとする。

勘違いしないでほしいが、解釈レイヤーにおいては外部から持ってきた知識材料を使うのは犯罪ではない。

批評とはそもそも物語世界と外部である我々の現実を橋渡しする行為であり、そこにはもちろん物語世界外部の知識理論が使われる。

だが、繰り返すが、それはあくま解釈レイヤーにおいて。

読解段階で物語世界無視するのとは話が違う。


狡っ辛い読者は物語内部のロジック無視し、プロット曲解し、事実をゆがめる。ありていにいえば、自分の読みたいように読む。その歪んだ見方をあたか物語のものであるかのように謳う。

彼らにとって物語とは自分たちから見える世界従属物でしかない。他者が書いたものであるにもかかわらず、彼らはそこに他者を見出そうとしない。


そんなもの解釈ではない。解釈ではないのだが、不思議なことに今のインターネットでは解釈としてまかりとおっている。

序盤で「二次創作」だと言った気がするが、考えてみると二次創作者たちに失礼なものいいだったかもしれない。

二次創作原作世界尊重してこその営為からだ。

ではこうした狡っ辛い読者たちの行うおぞましい「解釈」をただしくどう言い表すべきなのだろう。


解釈自由だ」という紋切り型の裏にはある不文律が隠されている。

解釈の前段階である読解は不自由だ」。

きちんと物語プロット認識したうえで成り立つの解釈であり、評論であり、批評だ。

その基本のキさえできないなら、評論解釈に手を出すべきではない。

逆にいえば、そこさえクリアできれば遥かに豊穣で自由世界に手が届くのだ。

恐れるな、だが謙虚に、だよ。ワトソンくん。

  • saebouさんってジョーカーの映画についてもまともな批評してたと思うけど、漫画やアニメの話になると途端にめちゃくちゃになるのなんでだろう

    • 自己肥大のために学歴を積んだから

    • おれはsaebou先生を尊敬しているが、学術上の活躍はあまりよく知らない、ブログとか読んでかじった程度なのだが、尊敬している点は、自分の前に立つ人間に片っ端から斬りかかるよう...

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