これが分からない
俺は犬が子供の頃に何度も犬に追いかけ回されたせいで、犬が苦手だ
できれば犬の写真も見たくない
性的なものに対する嫌悪感が俺の犬嫌いに近いものだとしたら、ラノベの表紙や今話題になってる宇崎ちゃんのポスターみたいなものについて多少の配慮が必要かもしれんとは思うんよ
俺だって特に犬がぐわーっと口開けてる(多分あくびの瞬間)様な写真や映像は苦手だから気持ちは分かる
でも、性的なものを自粛する必要があるなら、俺の犬嫌いの様に性的なもの以外に対する嫌悪感、不快感にも配慮があって然るべきだとも思うんよ
以前、似たような内容の増田を書いた事もある
それに「これは性的消費の話だから、比較対象は獣姦の写真や絵にすべき」みたいなトラバがついたんよ
つまりこれを書いた人は「性的なもの」に対する嫌悪感や不快感は他の、例えば俺の犬嫌いの様に性的な物以外に対する嫌悪感や不快感(俺の場合は恐怖感も含む)よりも優先して配慮されるべきだと思ってるって事だと思うんよ
なんで?
俺にはなんで性的な事に関わる事柄だけを特別扱いしなければならないのか分からない
別に性的な事を特別扱いするな! 俺の犬嫌いの様なその他の事も同様に扱え! って言いたい訳じゃない
性的な事を特別扱いしなければならない合理的な根拠が知りたいんだ
自分なりに考えてみたり色々ググったりしてみたんだが、どうにも自分自身を納得させる事ができるものが見つからなかった
正直なところ性的消費とか言う言葉もいまいち定義が分からないし、性的でない人格消費と差をつけなくてはならない理由も分からない
環境セクハラが成立するのなら、環境パワハラも成立するんじゃないの? と思う
俺は自分を納得させ、必要な時に他人を説得する為に使える理由が欲しい
散々考えてみたが本気で分からないので誰か詳しい人に教えてほしい
声のデカさ説に一票 あんまり合理性とかはなくて、文句を言う人の数とパワーで世論が決まっている フェミニズムというか反セクハラみたいな流れが今は強いんで性的なものへの規制...
というより、人類の大半が犬嫌いになればそうなるだろ