2019-09-02

障害福祉という信仰宗教について

障害者福祉理念はすばらしい。あってしかるべきだ。しか障害児のきょうだい障害福祉という名の新興宗教強制入信させられることでハンディキャップを背負うことになるのではないかと思う。自分はそうだったのではないかと思っている。

母親障害者福祉障害児のママという絶対善絶対正義立場に立ってしまい、絶対に逆らえないこと。

学校やご近所や親戚やテレビをはじめとした差別主義的な社会世間との板ばさみにされてしまうこと。

世間偏見が!社会無理解が!と聞かされながら、ご近所さんにはペコペコし、学校に馴染める子になれと言われるという、矛盾したメッセージさらされること。

母親障害福祉活動世界に入り浸っていつも知らない人たちといっしょにいるので、分離不安、寂しさを感じること。

障害児が生まれたのはママのせいじゃない、ママはわるくない、障害タンはみんな天使、では、だれがわるいのか?そうだ長女がわるい!と、母親にとって一番叩きやすい者に矛先が向かうこと。正義や善は悪の存在なしでは成り立たないこと。

長女、上の子が大変なママを支える役割と決め付けられてしまうこと。障害児を抱えるけなげなママが主役の舞台の脇役を演じさせられること。

障害福祉という、子どもにとって義務しか与えられないコミュニティに引っ張り込まれること。

きれいなものをきれい、きたないものをきたないと思うこと、障害児の顔や排泄物言動不快感嫌悪感や恐怖心を持つことに罪悪感を持ってしまうこと。

性に対するタブー意識障害タン天使であって性的存在ではない。お前も性的存在であってはならない。年頃の娘を見知らぬ障害者男性と同じ大浴場に入らせる、障害男児が健常女児風呂のぞくと、お姉ちゃんはお年頃だからねえ~といって茶化す知的障害者痴漢されても誰にも言えないことなど。

恋愛結婚出産に対する禁忌意識。将来おかあさんと同じようになりたいとは思えなくなること。

いくらママのせいじゃない、ママはわるくないといわれても、やっぱり子どものせいでママが悪い母と思われてしまう!という見栄や被害妄想があるので、きょうだいには世間様に恥ずかしくない子であることを過剰に求めること。

上記虐待行為のためにきょうだいの発達に遅れが生じ、ますます親の見栄や恥の意識のための懲罰を受けてしまうこと。

きょうだい精神的に困っていても、障害ちゃんと違って健常児なんだからちゃんとできるはず、ちゃんしろと叱責を受けてしまい専門機関受診できないこと。また虫歯が多くなり足の指が変形するなど。

母の障害児のママ仲間が障害児と踏み切りで心中したとき、母は電話障害児のママ仲間と、かわいそうよ~と言いながらおんおん泣いていました。私はそれを見て、障害児を持つけなげなママドラマクライマックスに達したんだ、よかったねと思いました。

もし私がもっといい子に生まれていたら、親がいい親だったら、私はやさしい心を持って成長し、親の望み通りに福祉関係仕事に就いていただろうか。あるいはもしも私がもっと悪い子だったら、結婚出産して幸せになっていただろうか。私は何も選べないまま、どっちにも付けないまま腐っている。選んだのは自分だ。

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