別にどうでもいい
暑熱馴化(しょねつじゅんか、英: heat adaptability)とは、徐々に体を暑さに順応させることである。
西寺郷太と吉田豪『ネバーランドにさよならを』と町山智浩を語る
https://miyearnzzlabo.com/archives/59198
古い先輩みたいなもんだからとことん追い詰めはしないけど…という体でほぼ引導は渡すみたいな恐ろしい対談。
「町山さんはアメリカで起きている事を『アメリカでこんな事が起きています』とただ伝える人です。そこは単に事実なのだからそれをもって町山さんを批判はしません」
うんうん!へー!スゴい!そうなんだ!知らなかった!
ここ数年、Twitterを見ると気が落ちることがある。些細な事象をすぐさま自分のことのように怒ったり悲しんだり、そこから喧嘩が発生したり、晒し合いになったり、いわゆるクソリプが多発していたりと、一方通行すぎる現場を多々目にして勝手に気が落ちる。
こんな社会になったのはなぜだろうと考える。そうすると「そういう人たちは加減を知らないのだ」という答えに辿り着く。令和、それは加減を知らない喜怒哀楽が当たり前になる時代なんだろうか。
半年ROMれの言葉でもわかるように、一昔前のインターネットは『ローカルルールも理解しない者は問答無用で叩かれる文化』があったと思う。それが良いか悪いかはわからないが、実際にローカルルールも読めない・守れない人間は9割がどうしようもなく、1割だけが天才だ。きっと9割の人間は、私生活でも他人を平気で傷つけているのだろう。ローカルルールがあることで、昔の2ちゃんねるはどうしようもない者を選別していたと感じる。
今のTwitterにはそういった文化がない。もちろんTwitterに存在する10年選手たちは概ねそれを理解している。しかし世間のビッグウェーブにより有能な選手は追いやられ、今Twitterの主導権は『加減を知らない者』が握っている。実際に10年選手たちは嘆く。そして諦めてこう話す、「世の中は加減を知らない者ばかりになった」。
加減を知らない者たちは、とかくバズる、共感者を増やす、フォロワーを増やすことを目的としている。だからどんどん過激になり、言葉は軽く、そして安くなっていく。
140字という限られた文字数のなかで、どれだけわかりやすく人々の感情を煽れるか。Twitterの手軽さは良い側面も多分に持っているものの、『大衆に』『ウケたい』という気の引き方が見えたとき一気に輝きをなくす。そしてそれを受け入れる者が大半になってしまったから、料理は140字のなかで【バズレシピ】などと紹介されるし、2ちゃんでも使い古された【悲報】などというワードが今でもはびこる。おそらくなんJで使われる猛虎弁もそうだろう。彼らは猛虎弁がTwitterに持ち込まれることを大変に嫌っており、猛虎弁はなんJだけで使うものというルールがあった。それがなくなり、今ではTVでも当たり前に取り上げられるほどメジャーになった。「まとめ民乙」と言うメンバーが圧倒的に減った、なぜならほとんどが当たり前にまとめ民で、自身がまとめ民であることに気づいていないからだ。
加減を知らない者たちは、わかりやすいトラブルや事件に食いつく。自分の感情を手軽に煽ってくれるからだろう。本質などもう関係なく、安い刺激で心を満たそうとする。たとえば年始に起こったNGTの事件は、まさに加減を知らない者たちの棲息地になっている。山口真帆を守りたいという気概は立派だが、見る限り大半の人間が山口の主張ばかりを信じ、山口を傷つける者を工作員と扱い攻撃している。完全なる一方通行だ。真相は出てきていないはずなのに、メンバーを『黒』扱いし問答無用で叩く。
先日犯人扱いされているメンバーが涙ながらに無実を訴えていたが、加減を知らない者たちにそれが届くはずもなく、さらにフルボッコにされるという地獄絵図を見た。この事件に関しては山口を持ち上げたTVやネットメディアも大いに責任があると感じるが、それでも受け手のリテラシーもあまりに欠落している。繰り返すが「真相は出てきていない」のだ。やすやすと騒がずに見守れないものか。検察は事件に関わったメンバーはいないと判断している。司法の判断すらも無視し、世論は「加減を知らない者」によって作られていく。それに怒り狂う少数の人間が同じ土俵に上がり、餌にされていく。煽り運転などのデマも止まらない。
こんな者たちに自分がターゲットにされたら終わりだ。だからほとんどの人間が関わらないようにする。しかし関わらないままでは加減を知らないモンスターはつけあがり、悪魔の証明をねだり、増殖していく。そんな人間たちを受け入れ、なあなあでやって行くのが正解だとは思わない。こんな哀しいモンスターを大量に生み出した社会に問題がないわけがない。それも抱えたまま、誰も指摘しないまま行き進んで、諸行無常などと言い、それでどんな末路が待っているのか。
誰か止めてくれ。私も止めるから、一緒に止めてくれませんか。こんな令和でいいですか?私は令和という元号は嫌いだけれど、生きるならなるべく良い時代にしていきたい。細かいことじゃなくていい、もう一度『加減を持つ者』を生きやすく。そして、『加減を知らない者』を救う社会を求めている。私もやるから、あなたもやって欲しい。お願いします。
全方向(八マス進めるとは言ってない)
下戸なんだけど
「いや下戸なんで」
「ノンアルビールもあるよ」
の流れがなー、わからん。
ビールの美味しさを知ってる人が代替品として飲むのがノンアルビールで、ビールの美味しさを知る機会がない下戸がノンアルビールは飲むわけない。
黄色い苦い汁と思ってるんで、すすめないで。
34歳男。
働いていたらいい人と出会ってそのうち結婚して、子供ができると思ってた。
普通に。みんながそうするように。
「働いてそれなりに生活していけるようになったから」パターン。
2回目は28~29歳歳くらい。
社会人になってそれなりに付き合ったり別れたりしつつ、
「仕事も色々ま買わせるようになったしそろそろ落ち着いておくか」
だんだんと周囲に結婚した人が増え、以前のように飲みに行ったり
遊びに行ったりできなくなったことで焦りだす。
3回目が32~33歳くらい。
この時期になると結構「婚活して結婚しました」パターンも多い。
仕事一筋だった人や、30前後で長く付き合っていた人と破局したパターンなど。
あとは「周りが結婚してやることなくなって始めた趣味で出会った」なんてのも。
2次会終わりとかにふと気づく「あれ、独身(かつ彼女なし)って俺だけじゃね?」に
いよいよ後がなく、今はよくても数年後を想像すると恐ろしくなる。
周囲の結婚ラッシュに呼応するように28歳くらいのときと32歳くらいの時に、
それぞれ婚活っぽいことをしていた。
でも結局2~3回食事に行ったら見限られて全滅だった。
結局1年くらいで「まぁ、別に独身の友達もいるしな」と思考を切り替えて独身を謳歌する。
33歳になって、よく一緒に会う友人が立て続けに婚約や結婚を前提としたお付き合いを始め、
あれ、今度こそ俺やばくね?ってことでマッチングアプリを始める。
大学の友人とか、職場の人とか見てても35歳以上って女性だけじゃなくて男性も独身はかなり少ない。
たくさん呼ばれていた結婚式も、もう年に2~3回くらいしか呼ばれない。
イケメンでもない1千万プレイヤーでもない俺が結婚できるタイミングって
28歳と33歳を比較したら、年収も転職して200万くらい上がっていたのはあるけど、
やっぱり本気度も違っいて、て前回は「いい人いなけりゃ別にいいや」くらいだったのが
「半年で結婚を前提としたお付き合いができなければもう婚活もやめて一生一人で生きていく。