昭和50年に法が消えて以降は、昭和50年以前に国家が想定していた日本語を使用することはどんどん撤廃されて
平成に入ってからは、初等中等教育に用いられる教材も「あたらしい社会科」などの形で、昔の国家が想定していた
言語によるものはどんどん置き換えられていったし、高等学校における国語教育においても、昭和時代に国家についていった
ような様相を呈する者でないガチロリマンコでも読める優しい詩集とかポエムとかそういうものが教材に多く採択されたし
国が想定するような神が書いたお堅い評論文は、実際の教育現場からはどんどん撤廃された。仮にそういうものを目にする
場面があるとしても、駿台ハイレベル模試の現代文くらいで、当時のロリマンコからは、くそきめえ文章だなあと思われ実際に
腐っていたので、多くの者が点数が取れず、そういうのは灘高校とかの猛者しか解けないと評判で、昔の国の奴が書いた物はもう読むな
国ではないところにいる神が書いたいいものを読めという論がどんどん進んでいって、平成17年までには、もう昭和50年より前に
国家神道の男の神が書いた言語は誰にも分からないし、国ではないところに増えていた女性の神が書いた文章が一般的に愛読されており
国の男といえば、当時は最悪視されていたし、東大の駒場でも、そういうクソ教官が一部にいたかもしれないが、そういう奴は鬼として
嫌われ出席者も受講者もいなかった、そのかわり、マンコに受ける講義あるいは子供受けするジョークを飛ばす講義が受けまくり、
しかし、東大法学部は典型的な、国の男であり、試験も全く容赦しないし、もう40年前から次第に痴漢されてきた教育現場の
言語も考慮せず、既に大昔に終わった国の男の言語が平成になっても裁判所等で書き続けてきた判例を紹介し学生を苦しめた上に
平成時代も最悪な裁判所、警察や検察に残っていた国の男であって、もはや平成の世の者の視界に入れてはいけなかったような
ゴミが、新鮮だった平成に復讐したので、今の東京が汚物になっている
そして現在の裁判所の判例に用いられる言語も、40年以上前に終わった国の男の言語そのまんまであり、何も改善された形跡がない
国語教育やその他の現場では、日本人に使用させる一般の言語は改善されてきたが、司法や行政は、何も改善しなかった
どんだけ最悪なのか