2019-07-20

誰でもいいから助けて欲しかった

ADHDASDアトピー吃音毒親育ちの女だけどとてもとても生きづらい。

10代の頃、頑張ったら報われると信じてどれだけ辛くてもリスカodもしなかったし不登校なんてしたことない、大学費用自分で貯めた。辛さに耐えきれずに泣いてしまうことも多かったけど、家で泣くと親に殴られるから通学路の途中のだれもいないところで泣いた、夜中にどれだけ辛くても笑っていられるように必死笑顔練習をした。気づいたらどんなに悲しくても笑っているようになった。そうしたら限界を迎えて人に助けを求めた時に苦しいとかつらいとかい言葉を信じてもらえなかった。誰も助けてくれなかった。あなたは強いから一人でも大丈夫だと言われた。

あの頃自殺未遂繰り返して不幸自慢して悲劇のお姫さまになればよかった、そうしたらだれか助けてくれたのかな。

でもきっとアトピーのせいで身体中傷だらけで肌もとても汚いから「悲劇のお姫さま」にはなれなかっただろうな。「悲劇のお姫さま」になる為には最高の外見が必要から

だったらもっと重度の障害者になって施設病院に閉じ込められたかった。

20代精神病気があることがわかったけど、中途半端に知能があるせいで働けると判断されてしまって社会に放り出されてしまった。社会に出て、自分のできないこと、苦手分野はわかってきたけど、得意分野が一つも見つからない。不向きはわかるけど、向いてる仕事なんか存在してないような気がする。社会に出たら私はただただ周りの人に迷惑をかけてるだけの存在になった。しんどい

兄弟も羨ましい。兄弟引きこもりニートだ。兄弟はまだ15歳にもならない頃から人にに暴力を振るっていた。そうしたらカウンセラーだとか精神科医だとかそういう人たちが助けの手を差し伸べてきた。彼は今も働かずに福祉制度に頼って生きている。いいなあ。そうやって10代の頃に誰かを傷つけていれば、福祉医療に守って貰える人生だったのかなあ。

私はなんで生きてるんだろう。死ぬのは怖いか死にたいとは思わなけど、生まれて来なきゃよかったとは思う。もう嫌だ、もう疲れた、消えてしまいたい

  • できることから、楽しみを見つけていこうぜ。 不幸を比べあっても仕方ないけど、俺も大人になっても治らない喘息、食物アレルギー多数、聴覚障害(聴覚情報処理障害)、親と姉と弟...

  • どうせ障害を持つなら重度であれ 境界線の人々が一番食い扶持に困るよね

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