いつからこうなったのかハッキリしないけど、まったくなにもすることがない時間があると一気に闇が襲ってくるようになった
学生の頃まではどれだけヒマな時間があってもボーっとできてたし、自分がやりたい事だけが大事だった
だからたぶん仕事をはじめてからだろうけど、いわゆるワーカホリックではない
休みは多いほうがいいし実際そこそこ休むほうだ。休みの日はなにかしらやる事があってとくに退屈するということはない
ただたまにほんとにやりたいことがなにもない時ってのがあって、そういう時に一気に人生そのものがのしかかってくるような感覚に襲われる
なにかの小説で「仕事というのはしている間は色んな事を忘れられるから現実逃避に向いている」みたいなの読んだがそのとおりだと思う
正確には「色んな事」というのは人生そのもの、自分の生き方とか根源的なものに近い
高校生の頃に生きる意味とはなんなのかと急に虚しい気持ちになったが、今は生きる事自体に意味はないと思っている
だから生きてる間は楽しもうと考えるようになったし、辛いことすらそれなりに楽しむことができるようになった
でも闇が襲ってくると必ず「こんな事してる場合じゃないのでは?」という気持ちになる
「こんな事」とは趣味も仕事も含めた自分の生活そのものだ。さらに言えば「こんな事」以外の大事なことなんて特に思いつかない
子供でもいれば子供が全てにおいて優先される、仕事と一緒で子供をいきがいにすることで闇から逃げられるかもしれない
でも自分には子供はいないし守るべきパートナーもいないし、もし子供がいてもその子供と自分の人生は切り離して考えるべきだと思っている
愛すべき人がいたとしても執着は絶対にしてはいけないと思っている
もっと大きな意味での愛が必要なのかもしれない。たまに他人のことを自分のことのように思える人がいる。ああいう人は闇には襲われないんじゃないだろうか
要するに愛は、闇から逃げるために用意された唯一の力なのかもしれない
お金も、趣味も、没頭すればそれもひとつの愛かもしれないが、本格的に闇が襲ってくる時はなかなかに無力だ
今まで何人もの人に愛されてきたじゃないかと自分を説得させることもできる
この先もきっとすごい好きな人や、好きになってくれる人は現れるかもしれない。でも闇は襲ってくるだろう。
なぜかわからないけど、これを書いてて宇多田ヒカルのお母さんの事が頭に浮かんだ
無防備にまぶた閉じるのに
夢の中に誰も招待しない君
Hello 僕は思い出じゃない
さよならなんて大嫌い
宇多田ヒカルのGoodNightという曲を聞いたとき、この歌詞が強く印象に残った
実際のところはわからないけど、母親を思って書いたんじゃないかと勝手に思っている
歌はサビでずっと「Goodbye」と繰り返し最後のフレーズだけが「Goodnight」になっている
これを聞きながらなにか大きく変えなくてはと思うのに、今眼の前に迫る闇を振り払うために、とりあえずいつもの生活パターンの中でごまかすように、人と会ったり趣味に没頭したり仕事に逃げたりしてしまう
この闇を退治するにはどうすればいいんだろうか
疲れてんだから、何も考えず、呼吸だけに集中してさらに休むこと。
とりあえず認識が間違っているのでペンギンハイウェイを見るなり読むなりしろ