自然界のような割と固定的に把握できる対象に対する議論ならまだする意味があるだろう。
社会や人間にまつわる議論を見ていると、議論の前提となる現象には一人の人間が把握できないくらいあらゆる見方があり複雑に影響し合っているはずで、そして、現象を解決するかもしれない手段にはいい面も悪い面もあるのだから、これが正しい手段だ!というあらゆる結論には甲乙付け難いよなと最近思う。
だから多数決や協議という制度があるんだけど、それが正しく機能しているとはお世辞にも言えないし。
世界をコントロールしよう、という思想が根っこにはあるんだろうけど、以上のことを前提にすると、いやこれまでもできてないしこれからもできないよね、と突っ込みたくなる。