小学生の頃の夏休み、母方の従兄弟の父方の祖父の家に遊びに行ったことがある
当然自分とは何の血の繋がりもないが、母方の叔母が自分の姉=私の母とその娘=姪である私も誘ってくれた
祖父(ではないけれど便宜上そう呼ぶ)は九十九里の海岸沿いに別荘を持っていて、叔母家族と母と私でお邪魔した
祖父は優しい人だった
なんの縁もない私にも血の繋がった自分の孫と同じように接してくれた
ザリガニ釣りをしたりスイカ割りをしたりバーベキューをしたり、まさに「小学生の夏」のイメージそのままの1泊2日を過ごした
とても楽しかった
ちなみに「別荘」という言葉から当時の私は勝手に大豪邸を想像していたのだが、実際の別荘はそれより3回りは小さくて
内心「家ちっさ…」とか思っていたのは内緒だ 今考えると失礼な小学生だ
祖父に会ったのはその年とその次の年の夏の2回きりだった
叔母は母と私も葬儀に呼んでくれた
正直な話、この時既にもう祖父の顔も声もよく思い出せなかった だって2回しか会ってないんだから
それなのに涙が止まらなかった
忘れかけていたあの夏の思い出を一気に思い出した 浜辺に流れていた月の砂漠の物悲しいチャイムの音も急に思い出した
棺に手を合わせていたら後ろから知らないおばさん達が私の話をしているのが聞こえた
「○○さん女のお孫さんもいたっけ?」
「あの子は直接のお孫さんじゃないけど一緒に遊んだことがあるんだって(みたいなことを説明してた気がする)」
「あらそう、それなのにあんなに悲しんで泣いてもらってるの、○○さんも幸せねえ」
あんなに悲しくて泣いたのに、結局葬儀から数日もすれば私はまた祖父のことを忘れてしまった
なのに「泣いてもらって幸せだね」という言葉だけはなぜか強烈に頭の中に残っていて、
どうして泣いたんだろう、泣く資格とかあったのかなとか思った
ところで、それから数年経って私の血の繋がった祖父(父方)も亡くなった
葬儀では私は当然のように泣いたのだが、母もまた泣いていた
それを見た親戚のおばさんが、「お嫁さんにあんなに泣いてもらって、●●さんも幸せねえ」と言った