服を買いに行く服がない
というのはネットでよくあるジョークだけど、こういう言葉が生まれてしまう背景は日本的なんじゃないかなと考える
こういってしまうのは心理として
1、みすぼらしい(あるいはダサい)服を着てると他人がどんなふうに言うのか気がかり
2、みすぼらしい(ダサい)服だと自分の価値を落としてしまう心配
3、他人に不愉快な気持ちを与えたくない
あたりが考えられると思う
つまり人から見える自分というのがあるがゆえの言葉であるといえる
村社会の狭い人間関係しか持ってなかったぼくたちにとってこの三つは他の場面でもよく出てくる心配事だ
うまく機能するときもあるが、ネット社会では過敏に過剰になってきて生活の全てに見えない何かから監視と評価されているようになってきている
もう少し昭和のころのようにおおらかにならないと窮屈すぎてみんな自滅するのではないか
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