私も小学生の頃に、五島先生の 「ノストラダムスの大予言」を読んでワクワクした世代なんだけど、
最近、五島先生が当時の子供たちに謝りたいという仰っているのを見かけて、昔のことを思い出した。
小学生の頃、学校になじめず、部活では教師に殴られるし、友達と思ってた人は友達でもなんでもなくてあっさり裏切られるし、
わけのわからない理由で靴を隠されたりしていじめられるし、母が怒鳴り続ける家にも居場所が無くて、
遂に歩道橋の上から車の前に飛び降りて自殺しようと決意を固めたことがあった。
決行当日、たまたま母親の機嫌がよかったせいで、私は自殺するのを少し延期した。
そのとき、「ノストラダムスの大予言」の1999年7の月に何が起きるのか見届けるまでは生き延びると決心することで、
生きがいも無く人生に絶望していた自分にようやく1つの目標を与えることができた。
中学高校大学と、延々とぼっち生活を続けて時々自暴自棄になったりしたけれど、いつも、
「恐怖の大王は来るのか?来ないのか?」それを確かめずには死ねない。
と言い聞かせてどうにか生き延びた。
就職して仕事が忙しくなると、予言のことも自分の決心のことも忘れて、1999年7月はいつの間にか過ぎていた。
こんな風に大人になった私にとっては、五島先生の大予言に人生を救われたと言っても過言ではない。
予言そのものは、もともと半信半疑だったけれど、適度に近い未来に迫真の恐怖を描くことで、
今日も女は毒親叩き
うんち