デパ地下にあふれている人たちは値切ったりせず定価で高価に設定された品を機会的にも距離コストをわざわざ支払って買いに来る売店の保証品質を基準に買い物をする高級民
万が一にも発生しない万が一の時に誠意ある対応を期待できるというだけで倍以上する同等品を日常的に買い求める高級民さんたち
高級民の方々は品質について手放しで安心できる精査しなくても望みのとおりであるという安心感を伴った商品を買う事ひいてはその品を消耗することを目的としている
それが一堂に会した高級ショッピングエリアというデパ地下はそういった商品と接触するための手段である
その手段が手段としてつかうことができる人になりきることができるという「同じ場所に立っている人」になりきる(入場料は無料なので誰でもなれる)ことで
これまでの失敗を忘れてもしかしたらそれらの失敗した手段が成功していればここに客としてきていたであろう気分を味わうことで満足をしている
実際にキラキラしているのは「自分が購入できない硝子越しの商品」だから輝いているわけで同じ商品を消耗するためには毎日使っている激安スーパーではキラキラしていない
一つ2000円もするカツ丼がデパ地下でキラキラしていてもいつも食べてる激安スーパーの200円カツ丼はキラキラしていない
カツ丼が実際に有害なものを含んでいたりとか秀でたおいしさが実際の生活の生産性に影響するものであったりするとかならばその価値は同じだと言えるものではないだろう
しかし一時の空腹を満たすためだけの選択肢であるカツ丼がいくらのお値段でもかわることはないのだ
高級民たちはその空腹が安全に安心して満ちることを希望しそのために高額を支払う
喰ってはずれなら違う店のを喰うだけもう二度とそこにはいかないだけなら激安店を廻ればよいだけという庶民とは違うのだ
自分の体で人体実験をコストの無駄を省くと信じている庶民と金を積んで他人の貧しさをもってしたり排除したりすることで無駄な食事を1回することになることを回避する高級民
その埋めがたい差がうまっているような感覚が楽しいというのは間違いなく病んでいる
・成功しているかどうか判断つかない接客がそれなりに自分を扱ってくれる
・実際に購入しないしできないので永遠に入手するという目的が達成されないので「とても買えない高級品のきらめき」をずっと味わえる
高級民からその日用品を買いに来ている人々にまじっている気持ちが見透かされれば100均が夢の国かとはしゃぐ子供と同じに見えるだろう
だまっていればいつまでも無料でたのしめるわけだが注意がひとつ
いつも買いもせず徘徊していれば保安員に準不審者として目をつけられてもおかしくはない
適職などないのでしょう
最近、デパ地下(洋菓子や和菓子)やデパートでの芸術品催し展などを観て回ると時間を忘れる。世の中ってこんなに綺麗な食べ物や文化に溢れてたんだ…と視野が広がるというという...
デパ地下にあふれている人たちは値切ったりせず定価で高価に設定された品を機会的にも距離コストをわざわざ支払って買いに来る売店の保証品質を基準に買い物をする高級民 万が一に...
見る目が養われるうちに、デパートのお兄さんお姉さんになれちゃうかも。
マジレスするとそれはADHDなので働いても周りに迷惑しかかけないし家事も出来ないので子供部屋から出ないのが一番世のため人のためだよ
田舎者が都会に行くとうきうきしちゃうのと同じ こんな綺麗で幸福そうな世界があったのかーって
病んではないぞ。誰しも、安全と安心の空間に身を置きたいもの。地震にも強いし犯罪もほぼ無いからな。
庭園や美術館巡りでお高く留まり続けることも可能でありますよ 油絵の具のセットを持ち歩いて風景画を描けばいいよ
でも、何も買わないのでしょう? 何かを買うために働いたり努力したり、しないのでしょう? それは病気ですよ。
……デパ地下って全体に安っぽくね?