2019-03-15

祖母のこと

3月のこの時期は祖母が亡くなったから、祖母のことを思い出す。

祖母は父の兄である叔父と一緒に二世住宅に住んでいた。
祖父が亡くなってから7,8年が経って、祖母認知症が緩やかに始まった。

ある日、祖母の住む1階のリビング冷蔵庫が増えた。
しかも1人暮らしには大型すぎる上に、電源が入っていなかった。
「電源を入れなければ入れ物として使える」と言われて買ったのだという。
こういった、認知症が始まった老人につけこむような商売実在することに、当時中学生の私は驚いた。

そこからしばらくして、デイサービスに通うようになった。
同じくらいの年代の人と話せることが楽しいらしく、久しぶりに会った時には得意の英語の歌を披露したのだと
You Are My Sunshine」を何度も歌ってくれた。

祖母音楽好きな人で、それを受け継いでか私は高校合唱祭の実行委員会をやっていた。
司会とタイムキーパーをしていた私は、舞台の袖からホールを見渡した時にちょうど、父と母に連れられた祖母
ホールの浅い階段を一段ずつ、ゆっくりと降りながら真ん中の席に向かっていく様子が見えた。

祖母最初最後徘徊をしたのもこの頃だった。
デイサービスがよほど居心地が良かったらしく、勝手デイサービスのある場所に行こうと勝手に家を出てしまったのだ。
しかも、私の母と叔父家族が総出で捜索を開始してすぐに、一人でタクシーで帰ってきたという。今思えば、なかなかお茶目事件だった。

そこで叔母(叔父の妻)が祖母を強く叱った。
私の家族祖母と離れて住んでいた分、できる限りの介護サポートをしていたが、
それでも実際に一緒に暮らし介護をする立場なりの疲れや苛立ちが起こるのは仕方ないと思った。

しかし、段々日が経つにつれて祖母
「私は義理の娘によくしてもらっているのです」だとか、そのようなことを
何度も何度も、自分に言い聞かせるように、苦しそうな表情で話すようになった。
かにそう言うように仕向けられているようにしか思えなかった。

この時、認知症がそこそこ進んでいて、小さい子供と同じくらいに秘密約束が守れないようなコミュニケーションレベルになっていて
「私はね、月に3万円を払ってここに暮らさせてもらっているの。」などと言い出すようになった。
いよいよ叔父家族祖母が一緒に暮らさない方が良いと思い、私の父と母が動き出した。

そして、入居としての老人ホーム生活が始まった。
私の家族は、定期的に祖母に会った。
叔父家族ほとんど来なかった。

ある日、外出を申請して、祖母が私の家に泊まった。
料理が好きな母が、祖母の好きそうな料理を振る舞った。
食べやすいように、柔らかく煮たうどんや、小さく切った煮物を用意したが、
お腹いっぱいなの」と言って、一口くらいしか食べなかった。

後日、祖母入れ歯が無いことでご飯を食べることができなく、
その入れ歯祖母の家にあり、叔父が家を開けてくれないことが発覚した。母が悲しそうに話した。入居から既に1ヶ月は経過していた。
施設の人が食べやす料理提供してくださっていたとはいえ、不便な思いをさせていたと思うと私も悲しくなった。
叔父東京に住んでいるにもかかわらず、3.11を受けて変わってしまい、家族東京を離れた。
音信が途絶え、祖母の家でもある叔父の家を開けることができなくなったので、急遽、父が入れ歯を新しく手配した。

祖母入れ歯が戻ってから食事の量も元に戻り、肌がふっくらしてきた。
母が「肌が綺麗ですね」と言うと「私はお酒を飲まないからね」と笑った。
祖母とお別れする時「帰るね」と言うと「私も帰らなきゃ」と言い出すので毎回「買い物に行ってくるね」と言わなければならなかった。
なんやかんやで祖母も帰りたいという気持ちがあるらしく、だましだましやり過ごすのは心が痛んだ。

老人ホームというのは季節の行事積極的実施するので、七夕には笹を飾って入居者が短冊に思い思いの願い事を書いた。
そして書かれた短冊や、作られた七夕飾りはそれぞれの家族に渡される。
祖母短冊には震えながらも精一杯の文字で「Mさん(祖父)に会いたい」と書いてあった。
母にそれを見せてもらって、自分の部屋に戻ってひとしきり泣いた。

記憶曖昧で、父や私のことすら認識しない祖母が、夫である祖父のことはしっかりと覚えていたのだ。
祖母は弱りながらも、愛とはどのようなものであるかを教えてくれた。

そして3月の中頃、暖かい日のこと
朝ごはん時間に席についた祖母は、居眠りをしているように静かに亡くなった。

叔父家族とうまくいかなくて大変な思いをしていたこ
最後まで家に戻してあげられなかったこ
それらは当時、学生や孫の立場だったからどうすることもできなかったことだが
どうにかできなかったかと悔やしくなってはごめん、ごめんと葬儀が終わってからしばらく泣いていた。

私は実家を離れたが、3月暖かい時期になると祖母を思い出して「おばあちゃんありがとう」と心の中で云うようにしている。

線香をあげに行こう。

  • anond:20190315213657

    うこん

  • anond:20190315213657

    いい話ですが、長いので 💩💜👵🏻

  • memento mori 汝の死を想え

    人は死ぬ 必ず死ぬ 絶対死ぬ 死は避けられない   (例え記憶がなくなったとしても)死ぬときに後悔だけはしないような生き方を選びなさい。

  • anond:20190315213657

    おしゃれで品のいいおばあさまですね。もうすぐお彼岸だ。おはぎ食べてお線香あげましょう。

  • anond:20190315213657

    そういう記憶があなたを作る一部になる。おばあさんはあなたの中に生きている。

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