恋愛系の格言のようなものに「好きの反対は嫌いではなく、無関心である」というものがある
正直これは恋愛以外のほぼ全ての事柄にも同じことが言えると思う
何かを嫌うということは、少なくともその嫌いな対象を認識している状態である
そして何らかの要因があり嫌いになっているわけだが、ここにはエネルギーが生じている
これはどう考えても負のエネルギーなわけだが、どういうわけかエネルギーというのは別のエネルギーに変換することが可能である
よく味が杏仁豆腐に似ていると言われているが、その杏仁豆腐が嫌いなので当然と言えば当然である
記憶が曖昧だがおそらく初めて飲んだのは中学生くらいの頃であり、嫌いになったのもそのタイミングだ
それから歳月が経ち少し成長した自分は、とある理由から久しぶりにドクターペッパーを購入することを決意した
その理由というのは、最近シュタインズゲートにハマった友達と会う際「見て見て~知的飲料だよ」と言って話題にしたかったというそれだけのことなのだが、本題とあまり関係ないのでこれ以上は触れない
買ったからには飲まないともったいないなと思い、恐る恐る一口飲んでみる
その後も二口、三口と飲む勢いは止まらない
「なんだこれ、うますぎるだろ」
舌が成長したのか味覚が変化したのかは分からないが、どうやら自分はドクターペッパーが好きになってしまったようである
この瞬間、今まで散々友達との会話で貶し続けてきたことで蓄積された負のエネルギーはその姿を変える
今までの累積を打ち消すどころか、それを遥かに超越した正のエネルギーがそこにはあった
元々嫌いだったものを好きになると、あり得ないくらいエネルギーの上乗せが起こる
これは例えるならば「とても厳しくて生徒から恐れられていた熱血教師が、ほんの一瞬見せた優しさでクラスはおろか学年の生徒の大半をファンに変えてしまう」アレと似ている
後はそのエネルギーが何らかのきっかけで変容すれば、一瞬で好きになってしまう
これに対し無関心の場合エネルギーがないため、そこから好きになるのは少し難しい
よくファンよりも詳しいアンチがいるが、おそらく彼らはエネルギーの方向性が違っているだけで抱いている本質はファンと同等のものなのではないかと思っている
そしてこれに関連しているが、今まで書いてきたこととは逆のこと…つまりは"好き"から"嫌い"への転換というのもまた、容易である
アンチの中には一定数の元ファンがいるが、ファンだった時の好きのエネルギーが大きかった人ほどアンチに転じた時の負のエネルギーが大きいのは言わずもがなである