子供のころの習い事は強制的に通わされることもあり、大抵の場合それをしなかった他人と比べて抜きん出た能力を得ることができる。
そうして得られた能力は後の人生において、自己肯定感の根源であったり、趣味の分野でいかんなく発揮されたりする。
そんなメリットの多い習い事だが、僕に与えられたのは後の人生から見たら「ハズレ枠」に含まれる習い事だった。
小学生のころ僕は「硬筆・習字」と「水泳」の2つの習い事に通っていた。
まず「硬筆・習字」に関してはなぜ左利きの僕を通わせたのかまったく理解できない。
ご存知の通りすべてのひらがな・漢字は右利きを前提とした設計をされており、左利きではどうあがいてもお手本通りの作品など仕上がりっこないのだ。
当時の僕はその事実を知らないまま、ただ漫然と言われるがままに駄作を作り続けていた。
学校の習字の授業では、なぜ習い事をしている僕のほうが隣の女子より下手なんだ?と本気で疑問に思っていた。
習い事ってのは隣近所のご学友にマウント取って自己肯定感高めるためのものじゃないのかよ。なんで逆にマウント取られてんだよクソ。
っていうか「硬筆・習字」って趣味にもならないし、ペン字と比べて実務的でもないしいらんやろこれ。
「硬筆・習字」と比べて「水泳」については完全に自分の性格のせいで無駄になってしまった。
一通りの泳法が学べたのはいいと思う。でも陰キャにはそれを披露する場は与えられていない。
体育のプールで注目されるのは、体力オバケの野球少年やヤンチャしてる陽キャたちなのだ。
水泳を習ってはいても僕は普段から運動するほうではなかったので、平泳ぎでも50mも泳げなかった。
のちに大学生になり友人らと海に行っても、沖の方までついていくことはできず浅瀬でチャプチャプするのが精一杯。
(ていうか途中で体力尽きたら終わりじゃん?よく怖くないよな・・・)
結局習った水泳スキルを活かせる場は今までの人生で一度もなく、これからもきっと来ない。
ピアノとか絵とかだったら習い事をやめても、そこで培ったスキルを活かせる場はいくらでもあるしなんならお金を稼ぐ手段にすらなる。
親ガチャにハズレたと言わないのはせめてもの優しさか