2019年01月22日の日記

2019-01-22

言うてそんなに過去に戻りたいか

俺は収入のせいもあるだろうが全然戻りたくない

なにやってんだろなぁ

高校生の時は中学生にもどりたくて

大学生の時は高校生にもどりたくて

社会人になったら大学生にもどりたい

そうやって今から目を背けて過去にやりたかたことばかり思い返してしまます

今日目標に向かって努力することもなく、抜いて寝ます

世界の何十人かに富が集中してるって話だけどさ

そんなかに石油王とかも入ってるんだろ?

じゃあ戦争しかないじゃん

やろうぜ戦争

富を没収して再配分しようぜ

奴隷身分に堕ちたなら、たとえどんな犠牲を払ったって、たとえどれだけの人間を見捨てることとなろうとも、逃げ出そうとするのが普通だって、皆思うくせに

anond:20190122232856

それだけ熱しやすく冷めやすいなら、きっとまた好きなことに出会えるチャンスはあるんじゃない?それが仕事の中にあるかは知らん。

anond:20190122233541

ちょうど救出中に東横線で通りがかったな

指摘もそうだがホームドアもとっととつけて欲しいぜ

転落の6割が酔っ払いポスター貼ってる割には温度が低い

社会人デビューしたけど向いてなかった

何年か前に新卒採用をもらってサラリーマンになったのだが、向いていなかったと判断したので今夜上司辞表を出すことを連絡しようと思う。実名ブログに赤裸々に書くと親が哀しむのでここに書く。

理由は「いい加減睡眠時間生活にケリをつけて休みたい」とか「思ったより金がない」とか「掲示板で論争がヒートアップしたあと明け方までバトルを続けられる生活に戻りたい」とかもあるのだが、根本は「生きていくのは好きだけど仕事をするために生きるのは好きじゃない」ということに尽きる。

俺は自分の部屋に閉じこもるのが好きで、子供のころから股間を掻いていた。小説だったり漫画だったり、RPGツクール製のでリョナゲーでシコったり形態は様々だ。シコり終わったらウェブを回ったり友達スカイプしたりはしていたが、特に勉強をするつもりもなく、余った時間は寝ていた。そんなある日、気まぐれに新卒採用にでも送ってみようかと考えて就活した結果、まさか内定獲得。いつの間にか社会人になっていた。

その後卒論を書いたものが幸い卒業になり、嬉しいようなものもあれば嬉しくないものもありという感じで生きてきたのだが、最近自分限界を感じるというか、会社に向かうのが本当に苦痛になってきてしまった。

社会人デビューすると、学生のように自由に生きることはできない。億り人スーパーハカーくらいの大御所になれば生きたい人生を生きたいように生きれるのかもしれないが(でも億り人市場の変動にはやきもきすると言っていたっけ)、俺クラス新卒だとそうはいかない。こちらが非常識と思ったもの強要されることもあるし、ときにはまるで違う報告書魔改造されることもある。こちらが全く誠実と思えない上司方便を入れないと判子を押さないと言われることもあるし、そうやって無理やり通したたものが無事にすめばまだいいが、本社による調査で二週間詰められたりりする。もちろん嘘を交えての問題先送りはサヴァイヴにて必要プロセスだし、正直に書いたもの承認を通らないのは俺の実力不足のせいだが、一方でこういう生活を続けていて社会人を続けていく理由がよくわからなくなってきた。

よくビジネスマン向けの自己啓発として「お前は仕事がしたいのか、給料が貰いたいのか」というものがあり、「仕事がしたい」人のほうが社会に向いていると言われるが、俺は逆だと思う。「給料をもらいたい、社会的地位を手に入れたい」という人のほうが、社会人をするにははるかに向いている。彼らは上司意見をきちんと取り入れ、報告内容を忖度し、顧客との接待飲みすらエンジョイし、貪欲に生き残り続ける。そうやっているうちに強固な人脈を持つ社会人に化けたりする。俺のように「自己実現をしたい」だけの人間はそういうモチベーションがないので、自分が正しくないと感じる方向に改竄をしてまで資料を出すという動機がない。やりたい事をやって生きていられればいいのだがこれは天才戦略で、凡人がやると居場所を失って死ぬ。そしてただの凡人だった俺は、社会人として死ぬのだ。

というわけでこれから上司順次連絡してこのエントリを見せようと思う。これからネトゲにでも一日の大半を使って、だらだら貯金を使い尽くして死のうと思う。両親には謝りたい

元ネタ

https://anond.hatelabo.jp/20190122141644

なぜ日本営業マンは18時に帰宅できないのか。働き方改革営業マン適用外?

働き方改革だの残業削減だの言ってるけど、営業マンだけは一向に定時で帰れないのはなんで?

未だに見込み残業代というサビ残前提のクソみたいな制度ゴリゴリ残業させて、場合よっち飲み会、お付き合い、挙句の果てに安い日当で出張させて。

なにが働き方改革だよ。働き方改革するなら、まずクソ労働時間が長い営業マンを全員定時で帰らせてから言ってくれよ。

朝9時から夜9時~10時まで働かせるなんて普通じゃねーぞ。家族との時間はどこにあるんだよ。刑務所作業時間より長いじゃねーか。

「18時なので帰りますね」

「あ、もう時間ですね。ではこのへんで…」

とお互い定時で営業マンを帰らせないと駄目みたいな空気になれよ。これこそ働き方改革だろ?

なのに現実は「営業マンに定時なんて無いぞ。ハッハッハ」みたいなクソみてーなオッサン営業マンに合わせなきゃいけなくてよ。

から営業就活から嫌われるんだ。女性営業マン妊娠したらマミトラックにのって事務畑行きなんだ。

何とかしておくれよ、日本エラい人達よ。営業日本の恥だ

休めない国

日比谷線で人が死んだよ

インフルエンザだったけれど出勤していたんだって

人って意外とすぐに死ぬんだよ

会社からすれば人なんて死ねば代わりを補充すればいいんだよ

壊れたらすぐ変えればいいんだよ

つらいやつ

ますぐバックれても死なないか

死ぬか死なないか基準に考えていこうぜ

anond:20190122233253

できるおっさんはわざわざ何かを聞いてきたりしないか存在観測できない問題

エロい面白いのか?

いわゆるVtuber沼にはまっているのだが,最近よく思うことがある.エロいって面白いのか?

エロい言動をすればコメントは一気に盛り上がるし,それを狙って発言しているような節も見受けられるがそれがどうも全然面白く思えない.どうしてそこまで盛り上がれるのかと思えてしまう.確かに人並みに性欲はあるほうだし,Vtuberに完全な清純キャラを求めているわけではないけれど,自分と盛り上がっているコメント欄(とVtuber)との間に恐ろしいほどの温度差を感じてしまう.

最初のほうは実況も雑談面白くてずっと配信見続けてたVtuberだんだんそういう言動が目立ってきて,1時間配信に数回はそういう言動を挟むようになってから見るのをやめた.いろんなVtuberを見てきたけど,やっぱり女性Vtuberって遅かれ早かれそういう方向にいってる.それをコメント視聴者も望んでいるようで,昔は心外だと思っていた「電子キャバクラ」という揶揄もいい得て妙だなと最近は思い始めた.

本当に俺の感覚が間違っているのか?エロい面白いのか?普通にゲーム実況見てるほうが面白くないか

シカト運営を甘やかすファン

秋元始めAKBグループ運営がクソなのは言うまでもないが、自分推し被害に合ってない(ように見える)だけで今まで通りの金払いを続けるファンファンだよな。

この記事にもある通り、運営が注力してないメンバーの扱いなんて雑なもんだし心のケアができてないから荒れる子も出てくる。その最たる結果が今回の山口真帆さんの被害じゃないだろうか。https://toyokeizai.net/articles/-/261526

大体お前ら大衆応援なんてメンバーにとっちゃ鬱陶しいだけなんだよ。毎日Twitterで誰かも分からないやつにいちいち返信されてたらキモいだろ。

そうやって「応援」という名のエゴの塊をぶつけたり運営上納金を貢いだりするぐらいなら、少しはクソ運営抵抗したらどうなのかね。あんたらの推し人質にして商売する奴らに「変わらないならファン辞めます」ぐらい言ってやれないもんなのかな。

結局ファンじゃない外野がガタガタ言っても、今まで通りファンから金が入ってくるなら絶対運営なんか変わらないんだから。今回ももう沈静化してきてるし、このままだと山口さんが引退して終わりになりそうな気がする。

anond:20190122233114

男の価値って、名誉と金と女の三つでしょ

三つしかないんだから簡単だよね

anond:20190122232856

俺と入れ替わってみる?

ってやつが結構出そう。

40代~50代に対する若者から意見ダメ出しクレームの類

例えば「パソコンITエクセルが使えないおっさん像」というのは

20年前にも同じようなこと言ってた気がするんだが世代交代してる

はずなのにこのおっさん像はなぜずっと昔から同じままなのか…。

今の40代50代は20年前に今の若者と同じようにおっさんへのクレーム愚痴

吐いてたんじゃないのかそれともおっさんとは何かの感染病なのか

マキタ掃除機

言うほど良くはない。

しかに軽くてバッテリー容量もいいかもしれない。最初は吸引力がすごーい❤︎みたいなテンションかもしれない。だが、次第に弱点が見えてくる。そう、ヘッドである

マキタ掃除機のヘッドはおもちゃみたいな品質なので、人間が気を使わないと綺麗にならない。ビルテーマパークの清掃なら言うことないだろう。しかし、家庭の清掃においては必ずしもフィットするとは言い難い。自家用車の清掃など、どちらかと言うと利便性が重視されるユースケースにおいては力を発揮するだろう。

掃除に気を使いたくない人は少し高くてもヘッドの性能が高い掃除機を購入することをお勧めする。

もう何もかもがどうでもいい

とにかく私は男としての価値があるという証がほしいのだ!

その証を手にするに相応しい価値ある男になりたいのだ!

まだまだ自己研鑽が足りない…が、どこまでやれば足りるのかもわからない。

anond:20190122101910

サンキュー増田

年齢で輪切りにされるのはしんどいだろうな。

てか増田読んでると、だいたいの問題は年齢輪切り教育のせいの気がしてきた。

親の方も自分の子供の発達具合にあった教育なりを自前で決めるのが当たり前の世の中だったら、あんまり引け目を感じないんではないかと思ったよ。

無理して通常の学校に通わせたい保護者さんもいるけど、ホントにそれでいいと思ってるのかどうか、世間体からそうしたいと思い込んでるのか、なかなか怪しそう。

どの教育を選んでも良い、となれば、普通に通わせなきゃ、みたいな強迫感は減ってくるんじゃないかな、減るといいな、と。

anond:20190122232724

こいつをこうまでしてしまった社会が恐ろしい

人生仕切り直したい

24男子大学院生修論もほぼ書けてもうすぐ卒業内定もある。学歴初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。

高校までは田舎優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログ運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。

大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミング入門書とか買って自分勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitter自分勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分プログラミング勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。

大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクト過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitter井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。

大学3年目、自信を失ったなりに必死勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。

大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。

年が明けて1月卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルiPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。

大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国学会論文を通す必要があって、1本目の論文技術的にも精神的にも指導教員依存していた自覚があったから、次のテーマ自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間たっぷり使って自力研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。

翌年2月下宿クローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いかしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。

大学院2年目の5月自力学振申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望でっち上げた。内心、その研究面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員コメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。

8月、ようやく研究が形になってきて指導教員ミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単ミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針説明するのは初めてだった。自分メモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究改善する方針提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。

8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。

10月、指導教員ミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月わずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸ギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社内定と同じくらいの時期に、学振内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。

そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるもの出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。

社会に出て働くわけだし、流石に関連技術勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。

anond:20190122200625

んで?みんなおっぱい揉んだことないってことでOKかな?

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