子供の頃、「豚」と呼ばれていた。
小学校に入ってすぐ、いわゆるガキ大将風の男の子につけられたのだった。
太っていたわけでも、ブーブー言っていたわけでもない、ただ、ブスだったのだ。
自分の通っていた保育園には攻撃的な男の子がいなかったこともあり、こんな人がいるのか!というショックが大きかった。
あっという間にクラス中の男の子に「豚」と呼ばれるようになった。
中学に入った。
いくつかの小学校から集まる中学だったので、この嫌なあだ名も終わりかなと期待を抱いていた。
入学して数週間も経たぬうちに、また「豚」と呼ばれ始めた。
他のクラスの男の子が吹聴し、それを部活で聞いた子から子へと、あっという間に広がってしまった。
勉強も運動もできたし、家も裕福な方だった。(どれも、平均よりかは...の程度だが)
それが自分を少し傲慢にさせていたのかもしれない。いくらからかわれても、私は強気だった。
私を「豚」と呼ぶのは、ちょっと悪めの目立つタイプの男子たちだった。
「豚」は「養豚」「家畜」「豚足」とバリエーションを増やした。家の前で「豚死ね!!」と叫ばれたこともあった。
理解のある友人と、自分を評価してくれる家族のおかげで、あんまり重く受け止めないでいられた。
むしろ、「あいつらにとって私はそれほどの脅威なのか」などと思っていた。
でも心の底では「私の外見は人より格段に劣る」という潜在意識が募っていったように思う。
「顔がでかい」「髪型がださい」「足が太い」「目が細い」「鼻がでかい」
思春期には、なかなか受け止めきれない指摘だった。
自分がみじめな反応をしたら、それこそみじめだと思った。傷付いてみせるのはかっこ悪いと思った。
だから、気にしていないふりをした。
「豚死ね」と言われても、「は?成績わるいオメーが死ねよ」と返していた。(今思えば、頭の悪い反応であった。)
当然だが、そういう態度の人間を守ろうと思う人は少ない。
先生も、同じクラスの子たちも、かばってはくれなかった。私がどれだけ暴言を吐かれようとヘラヘラしている同級生や先生に怒りが募った。
そんな時、他のクラスにいながらもいつも支えてくれた友人たちとは、今でも仲良くしている。感謝しかない。
高校大学は、出身校からの進学は自分1人という状況だったので「豚」は無事に卒業できた。
それでも夏の夜には「豚死ね!!」と外から聞こえてくることがあった。
私を「豚」と呼んでいた男の子たちの中にはプロスポーツ選手になったり、ある分野での有名人になった人もいる。
今どう思っているんだろう。思い出しもしないのかな。
自分の子供や、奥さんが「豚」って呼ばれたらって、考えたりすることはあるのかな。
もう中学を卒業して20年近くたつのに、いまだにはらわたが煮えくりかえる夜もある。
なんで時々こんなに思い出すかというと、いまだにおふざけで「豚」と呼ばれることがあるからだ。
今でも親しくしている友人たちからだ。彼らに悪意は全くない。当時も今も、ずっと私の味方でいてくれる尊敬できる友人たち。
でも、やっぱり私は少し傷付いてしまうことに気付いた。
あの時、中学生の時、あんまり傷付いたそぶりを見せなかったことを後悔する。
今でもやっぱりチクチク刺さる。こんな言葉で傷付かないわけがない。そう想像されないことも少し悲しい。
特に、友達の恋人や旦那さん、かわいい子供たちの声で「豚〜」と呼ばれると、込み上げるものがある。
言われる側の人間の気持ちは、言う側にはわからない。きっとこれからも、自分みたいに傷付けられる子供たちはいるんだ、と思ってしまう。
テレビのお笑いも、なにもかも、全部地続きに自分のような子への暴言に繋がっているのだろうと思えてしまう。フっと急に悲しくなってしまう。
冬休みみたいにのんびりした時間があると、ついついそこばかり拾っては思い出してしまうね。
いまさら友人たちに、そう伝えるのはいつもの軽口を興ざめさせるようで気が引けてしまうので、ここに書いてみた。
私だってきっと誰かを傷付ける瞬間があるよね。
おやすみなさい。
あなたは優しくて強いね。そういう人憧れる。
ありがとう
ああー……自分を見るようだ。 自分の場合はメガネザル。ジャポニカ学習帳の裏に写真があって、牛乳瓶の底としか言えない分厚いメガネで三分の一位に目の大きさ縮んでたから小学校...
豚は死ね!!!!!!!!!!!!とかルカ・ブライトさんかな?
その言い方は嫌だと言ったほうがいいよ。幼なじみさん?なのかなぁあまりにも失礼では。