実家は山間にある水田農家で、遠くに高速道路が走る風景は昔から変わらない。
小さな駅に車で迎えに来てくれた両親と共に、私は私の家族と共に実家に帰る。
山際の家に到着し、一泊して今日を迎えた。
近くの家の庭先を訪ねると、アウストラロピテクスに会える。昔からいるやつだ。とっても。
アナメンシスなのかアファレンシスなのかは尋ねたことがない。骨格は外面からはうかがえない。
骨を割り続けるアウストラロピテクスのとなりに蹲踞する。
作業を続けながら、彼が問うてきた。
「ホモサピエンスもさ、骨食うよね」
「場合によってはな」
「この飽食の時代だ。俺も骨以外も食べる。ところであんたたちの主食は?」
「米だと言われている」
「いや、それは最近のことだろ。もともと何食ってたんだよ」
そう言って私は、もう少し考えて言葉を出すことにした。
「精確に言うと、現在の日本列島とされる空間に住した人間は魚だ。まずは魚だったはずだ」
「そうかい」
「俺たちより昔は果実だった」
「そうだ」
「未来はどうなるだろう」
「藻とかじゃねえのかな」
「ありだな」
例年他愛ない話だ。互いの親戚の話とか共通の友人とか。仕事の話とか。
そしてそれぞれの社会に戻って行く。
割り当てられたタスクの具体的な進捗なんて、作業者本人以外把握しようがないし、本人が一番わかってないとやばくね?
だいたい、そこまで上司が面倒見るって、作業者は仕事してねーじゃん。
てか、1人で済む仕事が2人がかりになってんじゃん。
そういうの半人前っていうんじゃねーの?
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そもそもMommyレベルのADHDじゃない場合に薬物治療いる?って話なんやで
結局、自己肯定感の話になる
親に学校も習い事も部活も塾も決められ、自分で何かを選んだ経験があまりない人は、自分が尊重されているという感覚を得ることができません。また、自分の選択に自信が持てず、他者の選んだものが正しいと思うようになってしまうため、他の人から認められないと自分を評価できなくなります。
③挑戦させてもらえなかったあまりに過保護に育てられると、自分で物事に挑戦しようとしてもやらせてもらえず、自信をつける経験をしたことがないまま成長してしまいます。人は、自分で何かができたという達成感を積み重ねることで自己肯定感を高められるのです。その機会を奪われてしまっては、自分は何もできない人間だと思い込み、自己肯定感が低くなってしまって当然といえます。
一緒に、泣くといいよ。ストレスも涙で流せると思う!
まんまこの辺りやんな?
これは、親はもちろん日本の学校教育自体にも問題があることですが、周りと同じにできないことを否定され、枠にはまった人間になるよう教育されると、自分の個性を肯定できなくなります。「空気が読めない」「浮いてる」と言われないよう周囲に迎合するうちに、他者基準の評価でしか自分の存在意義を感じることができなくなるのです。