嫌いというと言いすぎだけど、米津玄師が好きになれない。
好きになれない理由が、メロディのボカロP臭さなんだけど、ニコニコ黎明期にSupercellとか聴いて熱狂してた世代である。別にボカロが嫌いなわけではない。
じゃあなんで米津玄師が嫌いなのか?嫌いになる理由がないじゃないじゃん、と。
で、ふと思い立ったのが、米津玄師の音楽が「マーケティングに基づいた音楽」であるということ。
昔は、レコード会社のマーケティングの元、アーティストが「無難な音楽」をやらされる・・・というのが常だった。
今でもそういう風潮は変わってないかもしれないが、売れてるバンドにおいては違う。売れてるバンドは動画配信サービスを通じて、自分でマーケティングをしている。
つまり、昔のバンドが「俺の音楽を聴け」だったのが、今のバンドは、自分の音楽をとことんファンの嗜好に寄せてきてる。
たぶん、僕が米津玄師の嫌いなところは、そういうところだ。
要は、僕にとって米津玄師の音楽とは、「自分以外に剝けられたラブレターをよ優れてる状態」と同じなのだ。
個人的には、米津玄師がファンウケとか考えないで好きに作った曲のほうが好き。Lemon?なにそれ。