2018-12-27

[]野口茂平

1853年黒船来航の年)、富山県の生まれ

大阪に出たあと「立志堂」という薬屋を立ち上げて一財産を築いた。

1888年明治21年)には、海水浴釣りなどが楽しめる温泉リゾート天保山遊園」をオープンし、

配当付きの会員権を売り出してさらに大儲けをした。

茂平はその資産を生かして大阪市会議員となったが、

天保山遊園は物珍しさがなくなると閑散として、わずか九年で閉鎖されてしまった。

さらに、茂平が結核に効くとして売り出した「肺労散」が偽薬であると、宮武外骨から糾弾されてしまう。

外骨は、自身新聞上で二年間にわたって茂平への批判を展開し、

詐欺師」「野蜘蛛」と称して、彼を晒し首にした絵を掲載し、

「肺労散」が売られた患者を突き止めてその効果検証までした。

この問題裁判沙汰にまでなって茂平が勝訴したものの、

後に、花見の席で外骨に面会した茂平は謝罪し、「肺労散」の販売を停止したため、

外骨も「自分もやりすぎた」と言って許したという。

茂平から見て曾孫にあたるのが衣装デザイナーのワダ・エミである

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